原告第6準備書面          

2008年10月3日

 

平成19年(ワ)第188号 損害賠償請求事件

原 告  蒔田直子 ほか3名

被 告  国、京都市

 

                                       原告ら訴訟代理人弁護士  小 野 誠 之

 

                          同       堀      

 

同         池 田 良 太 

 

 

京都地方裁判所 第2民事部合議係 御中

 

  

 本書面の目的は、本件タウンミーティング不正に至る経過と背景を明らかにするとともに、原告第3、第4準備書面で詳述した国と京都市の不正行為について、その後、証人尋問や本人尋問で明らかになった事実を補足することにある。さらに、各原告毎に、本件タウンミーティングへの応募の動機や、今回の不正行為により被った損害について説明する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

              <目 次>

 

第1.はじめに---「住民自治の原型」「民主政治の最良の学校」としてのタウンミーティング

1 そもそもタウンミーティングとは、何だったのか? P5

   (1)アメリカ・ニューイングランド地方で始まった、直接民主制の最高議決機関としての「タウンミーティング」

(2)「タウンミーティング」は、「住民自治の原型」「民主政治の最良の学校」であった

2 「国民世論誘導」のために利用されてきた小泉内閣のタウンミーティング (P6

   (1)行政当局や政治家による「対話型集会」としてのタウンミーティング

   (2)小泉内閣のタウンミーティングも、「草の根民主主義の原点」と位置づけられていたはずである

   (3)世論誘導のためのタウンミーティング----踏みにじられた当初の理想

   (4)特に問題となった、教育基本法「改正」に向けた「世論誘導」のためのタウンミーティング

 

2 本件タウンミーティング不正の経過と問題点---原告第3、第4準備書面の補足・補充として

1 原告蒔田、朴らの参加を阻止するために、意図的に「抽選の必要性」が作り出されP9

(1)11月12日〜22日の応募者の8割以上が、イベント関係者、市教委関係者であった

(2)応募者の追加募集、イベント関係者や市教委関係者の優先参加等により、「抽選の必要性」が作りだされた
 2 
イベント関係者が会場に残りたいと要望したのは、大臣、長官との記念写真のためであった (P14)

(1)従来、タウンミーティングでイベントが実施されることはなかった

(2)イベント参加者の目当ては、「大臣との記念写真」であった

3 国、京都市が、原告朴の参加を阻止したのは、民族的偏見、差別意識によるものであった (P15)

(1)「民族差別を訴える本に名前が出ているような人物は、タウンミーティングでも反対活動する」という決めつけ

(2)「民団の支団長」という虚偽の情報
4「住民監査請求や情報公開請求を行なって批判してくる可能性」が排除の要因になってはならない
(P18)

5 実際には抽選など行われておらず、「抽選によらない不正な排除」があっただけである (P19)

 

3 被告京都市の虚偽の主張と責任の押しつけ

1 被告国と被告京都市の主張が対立している事項のまとめ (P20)

2 両者の対立事項のほとんどについて、京都市が虚偽の主張をしていると断ずべきである (P21)

(1) 内閣府が、2005年10月に、7月〜8月の応募者名簿を送付したのは、京都市からの要請だったのか?

(2) 京都市は、原告蒔田に関して、どのような情報を内閣府に伝えたのか?

(3) 京都市は、原告朴に関して、どのような情報を内閣府に伝えたのか?

(4) 京都市は、蒔田、朴の2人を本件タウンミーティングに参加させないよう内閣府に要請したか?

(5) 京都市は、2005年11月に、いかなる理由で応募者名簿を送付するよう要請したのか?

(6) 「当選」「一応当選に」「教委ダミー」等の記載は誰がしたのか?

(7) 京都市は、5 人の子どもたちや保護者らに対して「発言依頼」をしたのか?
 3 公務員・松浦の偽証は断罪すべきもの
(P29)

4 本件タウンミーティング不正に至るまでの背景
(京都市教育委員会と文部科学省の動き)

1 「心の教育」の押しつけ、管理と分断の中で苦しむ子どもたち (P29)

(1)文部科学省による『心のノート』の作成配布

(2)管理と競争の中で縛られ、分断される子どもたち---特に、原告朴、蒔田の娘・朴希沙の場合

2 「心の教育」はいらない!市民会議の発足と、市民への回答拒否を続ける京都市教委 (P30)

   (1)京都市教委による道徳教育振興キャンペーンと、「心の教育」はいらない!市民会議の発足

(2)市民との話し合い、文書回答などを拒否し続けてきた、京都市道徳教育振興市民会議と京都市教委

(3)「心の教育」はいらない!市民会議による市教委への住民監査請求や住民訴訟

3 河合隼雄氏と文部科学省、京都市教委の関係 (P33)

(1)「心の教育」を提唱し、教育基本法「改正」を推進してきた河合隼雄氏

(2)住民監査請求で問われた、河合隼雄氏に対する不明瞭な謝礼金

4 河合隼雄氏の講演会(2004年6月13日)では何があったのか? (P35)

(1)市民らは、「話し合い」を求めていた

(2)当日の会場内の様子と、市教委職員らによる市民への暴行・傷害事件

   (3)京都市が提出した当日のビデオテープについて---蒔田とのきめつけは事実誤認

5 本件タウンミーティングは、「伝統・文化」を強調する教育基本法「改正」にむけた「世論誘導」のためのものであった (P38)

(1)「愛国心」につながる、「伝統と文化」の強調---改悪された教育基本法で初めて登場

(2)「文化力 タウンミーティング・イン・京都」の目的

(3)京都市教委門川教育長の主張---「お茶、お花、伝統芸能などが、『愛国心』を育てる」


5 本件タウンミーティングにおける、国、京都市の不正行為

1 国、京都市の不正行為の概要 (P40)

(1)本件タウンミーティングにおける京都市の不正行為

(2)本件タウンミーティングにおける国の不正行為

(3)原告らだけではなく、多くの子どもたちも被害を被った

2 「不正抽選」を要請した被告京都市の重大な責任 (P43)
  3 「作為的な抽選」を認めておきながら、謝罪を行なわない国の対応 (P44)

(1)反故にされた、国会における内閣府副大臣の謝罪の約束

(2)国は、「作為的な抽選」の事実は認めるが、謝罪の姿勢は全く示していない

 

第6 各原告の応募の動機と損害について(各原告の陳述書、本人尋問の要約として)

1 原告とその子どもらが本件タウンミーティングに応募した動機について (P46)

(1)原告蒔田の動機/(2)原告朴の動機/(3)原告松田の動機/(4)原告松本の動機

2 各原告が本件タウンミーティングへの参加を阻止された経緯 (P49)

(1)原告蒔田について/(2)原告朴について/(3)原告松田について/(4)原告松本について

3 各原告の損害について (P51)

(1)原告蒔田について/(2)原告朴について/(3)原告松田について/(4)原告松本について

 

第7 結語 (P53)

 

 

<別紙>「タウンミーティング・イン・京都」における、国と京都市の不正行為の経過

 

 

 

第1.はじめに

---「住民自治の原型」「民主政治の最良の学校」としてのタウンミーティング

今回、国と京都市によって、不正抽選による、言論の場からの排除、一方的な国民世論誘導のためのタウンミーティングが行われたが、本来のタウンミーティングとはそもそもどういうものであるのか、その歴史と意義について検証する。

 

1.そもそもタウンミーティングとは、何だったのか?

 (1)アメリカ・ニューイングランド地方で始まった、直接民主制の最高議決機関としての「タウンミーティング」

ア 17世紀、イギリスからアメリカのニューイングランド地方に移住したピューリタンたちは、本国からの干渉を排除し、直接民主制に基づく地方自治組織(「タウン」)を作りあげた。この「タウン」の最高議決機関である住民総会のことを、「タウンミーティング」と称した。

     この「タウンミーティング」は、地域の全有権者が参加する直接民主制の形態をとり、概ね、毎年1回開催された。立法権を持ち、行政委員や警察官、植民地代議員などを選出したほか、課税、土地の分配、公共土木事業、学校、教会の維持など、「タウン」に関するいっさいを決定したという。このような「タウン」制度は、その後も発展し、独立革命の際には、反英抵抗の強力な拠点にもなったといわれている。

フランスの政治思想家、A・トクヴィルは、この「タウンミーティング」について、「ニューイングランド地方ではすでに1650年には、自治体(タウン)が完全かつ決定的に形成されている。---タウンはあらゆる種類の公職を任命し、税を定め、税額の割り当て、徴収も住民が行なう。ニューイングランドのタウンでは、代表の法理は受け入れられていない。アテナイと同様、全員の利害に関係する事柄は公共の広場で、市民総会において取り扱われる。---このアメリカの諸共和国の草創期に公布された法律を注意深く検討するとき、立法者の政治的英知とその進んだ思想には胸打つものがある。」(甲37、トクヴィル著/松本礼二訳『アメリカのデモクラシー 第1巻(上)』2005年(原著は1835年)、岩波文庫、66頁)と高く評価している。

 

   イ このような「タウンミーティング」は、決して、歴史上の過去のものではない。現在においても、その住民自治の精神は脈々と受け継がれている。

     アメリカの各州・地方政府は代議制民主主義を導入しているが、ニューイングランド地方では、現在でも、住民全員参加による議会、すなわち、「タウンミーティング」が開催され、予算や条例、特別職の選出等が行なわれているという。

     自治体国際化協会『タウンミーティング---住民自治の原型』は、この「タウンミーティング」の現代的意味について、次のように記している。

      「尖塔を有した教会とミーティングハウスを中心に、コンパクトにまとまるタウンの朴訥とした田園風景と相まって、直接民主制たるニューイングランド地方のタウンミーティングは、純粋な民主主義の実践の場として、住民自治の理想郷のような印象を与えてきた。---社会情勢が大きく変化したこの時代にあっても、なおこの制度(タウンミーティング)を維持・存続するための努力が払われ、地域を構成する一人ひとりの意見を尊重する姿勢を保持しているニューイングランドの地方自治から学ぶべき点は、少なくないものと言えよう。」(甲38、自治体国際化協会『タウンミーティング---住民自治の原型』、85頁)

 

 (2)「タウンミーティング」は、「住民自治の原型」「民主政治の最良の学校」であった

このアメリカにおける「タウンミーティング」は、『アメリカのデモクラシー』の著者、A・トクヴィルや、『近代民主政治』の著者、J・ブライスらを始め、多くの学者らによって、民主政治の典型として賛美されてきた。

トクヴィルは、「自由な人民の力が住まうのは地域共同体の中なのである。地域自治の制度が自由にとってもつ意味は、学問に対する小学校のそれにあたる。この制度によって自由は人民の手に届くところにおかれる。それによって人民は自由の平穏な行使の味を知り、自由の利用に慣れる。」(甲37、前掲書、97頁)とし、J・ブライスも、「これらの例は、地方自治は民主政治の最良の学校、その成功の最良の保証人なりという格言の正しいことを示すものである。」(甲39、ブライス著/松山武訳『近代民主政治』第1巻、昭和23年、岩波文庫、160頁)と評価している。(なお、小林直樹氏は、前述のトクヴィルの言葉を、「地方自治はデモクラシーの小学校」と紹介している。(甲40、小林直樹『憲法講義』下、東京大学出版会、425頁))

   

以上、「タウンミーティング」は、北米で、「住民自治の原型」、「民主主義の最良の学校」として発足したもので、現在においても、「地域を構成する一人ひとりの意見を尊重する」するために、「タウンミーティング」を維持・存続するための努力が続けられているのである。

 

2.「国民世論誘導」のために利用されてきた小泉内閣のタウンミーティング

  (1)行政当局や政治家による「対話型集会」としてのタウンミーティング

アメリカ・ニューイングランド地方の「タウンミーティング」とは別に、タウンミーティングという言葉が、現在のような形で使われるようになったのは、アメリカのジミー・カーター大統領(当時)が、1997年に実施した対話型集会を、タウンミーティングと称したことに由来しているという。

    そして、その後、アメリカでは、行政当局や政治家が、くだけた雰囲気で国民らと会話するための会合を、タウンミーティングと呼ぶようになった。

    日本では、1979年に鈴木俊一東京都知事(当時)が、「東京都タウンミーティング」を開催したが、タウンミーティングの名称は一般には広がらなかった。

 

 2)小泉内閣のタウンミーティングも、「草の根民主主義の原点」と位置づけられていたはずである

ア その後、日本でも、一部の政治家や自治体が、「タウンミーティング」と称する集会を実施するようになったが、本格的に実施されるようになったのは小泉内閣になってからである。

     小泉内閣は、「タウンミーティングを通じて皆さんの生の声を直接お聞きし、政策に反映させる」(甲12、「小泉総理からのメッセージ」)として、平成13(2001)年度からタウンミーティングを実施してきた。

     平成13年(2001年)6月16日の鹿児島での開催を皮切りに、平成18年9月2日の横浜まで、合計174回に及んでいる。本件タウンミーティングは、その147回目にあたるものである。

 

   イ 「政府調査報告書」(乙A15)は、小泉内閣のこれらのタウンミーティングの目的について、次のように位置づけている。

「内閣の閣僚等が、内閣の重要課題について広く国民から意見を聞くとともに国民に直接語りかけることにより、内閣と国民との対話を促進する事を目的として始められた事業である。」(同頁)

「時の重要政策課題について、内閣と国民との直接対話という双方向のコミュニケーションを通じてより的確に国民のニーズを政策の企画立案や運営に反映させる上で重要な政策手段」(同54頁)

「タウンミーティングが、本来、『国民との直接対話』という草の根民主主義の原点ともいうべき性格をそなえている」(同56頁)

「直接民主主義的手法により民主主義のプロセスを充実させる施策として極めて重要である。」(同57頁)

 

   ウ このように、小泉内閣によるタウンミーティングは、アメリカの当初のそれのように、住民全員参加の最高議決機関ではないが、やはり、「草の根民主主義の原点」ともいうべき性格を持つと位置づけられているのである。

 

 (3)「世論誘導」のためのタウンミーティング---踏みにじられた当初の理想

   ア しかし、2006年の秋、教育基本法「改正」についての国会審議の中で、小泉内閣時代の174回のタウンミーティングが、実際には、「民意を『偽装』」し、「国民世論を誘導」するためのものであったことが暴露された。

     原告は、この点について、原告第第3準備書面備書面24頁以下で詳細に説明した。

すなわち、「やらせ質問」の依頼、また発言者への謝礼の支払い、運営経費の杜撰な使い方、関係者の動員などが、次々に暴露され、政府の、外部の有識者を加えた調査チームの「政府調査報告書」(乙A15)でも、結論として、「世論誘導ではないかとの疑念を払拭できない」(同33頁)と強く批判せざるを得なかったのである。

 

   イ このような小泉内閣のタウンミーティングに対しては、国民の批判が集中した。

     各マスコミも、次のように強く批判している。

    ・朝日新聞

     「こんなショーはいらない」「仕組まれた政府のトークショー」、「次第に、世論を政府寄りに誘導しようと、発言まで演出する文字通りの芝居になっていった。」(甲14の12 2006年12月14日 社説)、「理念遠い『官製』対話」(甲14の13 2006年12月14日)

    ・毎日新聞

     「税金がやらせに使われた」、「国民への裏切り行為---政府に猛省を促したい。」、「政府側にとってのイベントの成功とは会場が人で埋まり、賛成意見が多数出る、過激な反対論は避け、仮にそれがでても閣僚が恥をかかずに明快に答弁できるというものだったようだ。参加者の真剣な議論よりも波乱なく終らせようとする、事なかれ主義ではないか。---やらせで国民をだまし、その上、税金を無駄遣いされては政治に対する信用がなくなる。---しかしTMに仕掛けが施され、『世論を聞いた』というアリバイやイメージ作りに利用された。」(甲14の14 2006年12月14日 社説)

    ・京都新聞

     「『見栄え』重視に透ける『非常識』」、「官僚の『事なかれ主義』が歴然だ。」、「国と地方が手を携えて『組織ぐるみ』で参加者の数合わせに躍起になっていた。」(甲14の15 2006年12月14日)  

    ・東京新聞

     「『国民の声』偽装 いじめの手法駆使」、「発言者や参加者の意図的な選別、都合の悪い意見への“シカト”は他の会場でもあった可能性が濃い。」(甲14の16 2006年12月14日)、「報告書は『世論誘導の疑念を払拭できない』と結論づけた。『疑念』でなく、誘導そのものだったのではなかったのか。」、「TMが、民意を『偽装』する手段になっていたことになる。」(甲14号証の17 2006年12月14日)、「『ヤラセ』と『シカト』教育改革TM」、「異論排除を徹底」、「もはや政府に教育を語る資格はあるのか。」(甲14の18 2006年12月14日)

 

   ウ 政府も、このような小泉内閣のタウンミーティングの「不適切な運営」を認めざるを得ず、国会での謝罪だけではなく、担当部署の責任者や、監督責任者らに対して、懲戒処分を行なった。また、安倍首相(当時)や、塩崎官房長官、伊吹文部科学大臣らも、その責任を認め、給与の自主返納を行なっている(甲17、甲18)。

 

 (4)特に問題となった、教育基本法「改正」に向けた「世論誘導」のためのタウンミーティング

   ア 小泉内閣の174回のタウンミーティングの中で、特にそのひどい実態が問題となったのは、教育基本法「改正」のためのキャンペーンとして実施された、8回の教育改革タウンミーティングであった(甲14の1〜7、14の11、14の18等)。

     当時、政府は、愛国心を強調し、政府・行政による教育内容への介入を強めるために、教育基本法の「改正」をうちだしていた。そのために、「『世論を聞いた』というアリバイや、『イメージづくり』」のために、教育改革タウンミーティングが企画されたのである。

    

   イ 当時、原告蒔田、松本らは、それぞれの子どもの通う学校とのかかわりを通じて、教育基本法の「改正」が、子どもたちの直面する様々な問題をますます悪化させると危惧し、教育基本法改悪に反対する取組を続けていた。2004年5月に愛媛県松山で開催された、教育改革タウンミーティングにまででかけたこともある。2人は会場には入れなかったが、会場に入った知人によると、会場内では、大声の野次などが飛びかい、質問をしようと何回も手をあげても、全く指名されなかったという。後に明らかになった報道によると、このタウンミーティングも、あらかじめ用意したやらせ発言者などを指名していたものであった(乙A15、26頁)。

    

以上、述べてきたように、今回の「文化力親子タウンミーティング・イン・京都」の不正問題も、たまたま突発的に発生した事件ではない。タウンミーティングの目的そのものが、教育基本法「改正」にむけた「伝統・文化」の強調のための世論誘導という政治的なものであったのであり、その障害となりそうな人物を排除したのである。

当初の「住民自治の原型」、「民主政治の最良の学校」としてのタウンミーティングは、政府とは異なる言論を排除し、民意を「偽装」するものとされてしまったのである。

 

 

第2 本件タウンミーティング不正の経過と問題点--原告第3、第4準備書面の補足・補充として

1.原告蒔田、朴らの参加を阻止するために、意図的に「抽選の必要性」が作り出された

(1)11月12日〜22日の応募者の8割以上が、イベント関係者、市教委関係者であった

 ア 本件タウンミーティングは、当初、2005年8月18日に予定されていた。同年7月21日付で公表された参加者募集案内によると、当初の参加者募集期間は、7月22日〜8月10日の20日間であった(乙A22)。

    この期間に、143名(73件)が応募した。なお、同年11月22日に重複者のチェックが行われ、この期間の応募者数は128名(64件)であるとされたが、それは11月22日になって始めて判明したことである。原告ら4名も、この期間に参加申込をしている。

 

  イ ところが同年8月8日、衆議院が解散されたため、当時、同年8月に予定されていた4つの「親子タウンミーティング」は、秩父のタウンミーティング(同年8月25日に実施)を除いて、延期されることとなった。本件タウンミーティングも延期され、7月〜8月に参加申込をしていた者に対して、同年8月12日付で、「タウンミーティング延期ご案内とお詫び」というハガキが送付された(甲24)。

 

  ウ その後、新内閣が発足し、同年11月11日、本件タウンミーティングを11月27日に開催することが決まった。そして、11月12日から11月21日にかけて、再度、参加者を募集すると公表されたが(乙A4)、その文書には、当初の7月〜8月に参加申込をした者の取扱いについては明記されていない。

 

  エ この2回の応募期間の応募者数と、その特徴をまとめると下の(表−1)のようになる。(以下、7月22日〜8月11日の募集期間を、「第1次募集期間」、11月12日〜11月22日の募集期間を、「第2次募集期間」と称する。)

 

  (表―1)

 

7月22日〜8月11日の応募者

 (第1次募集期間)

11月12日〜11月22日の応募者

    (第2次募集期間)

応募者総数(件数)

・当初の申込は、143名(73件)

その後、1122日に重複チェックをし、128名(64件)となった。

            (乙A8

 

・重複チェック後は149名(70件)

             (乙A8

 うち、当初の期限をすぎた11月22日の申込者は、32名(13件)

申込者のうち、「京都市教委松浦様経由」と付記されていたもの

・2名(1件)   (件数にして1.5%)

122名(56件)   (件数にして80%)

うち、当初の期限をすぎた11月22日の申込者32名(13件)には全員付記

申込者のうち、市教委によって「当選」「教委ダミー」等と指定されていたもの

・なし

・「当選」「一応当選に」 78名(39件)

・「教委ダミー」     46名(18件)

うち、当初の期限をすぎた11月22日の申込者32名(13件)には全員「ダミー」と付記されていた。

イベント関係者の申込

・高倉小(生花)の関係者 6名(4件)

・お茶の友人       3名(3件)

 (それぞれ、一般申込で応募)

・太鼓関係者    32名(17件)

他に、応募申込をしていなかった、朱雀第3小学校関係者26名、高倉小学校関係者(お花)15名を、「別枠」で、参加させるよう要請した。

 

  オ 当初の第1次募集期間の応募者と、開催延期後の第2次募集期間の応募者を比較すると、次のようなことが分かる。

    @ 第1次募集期間の応募者には、「市教委松浦様経由」と書かれている者は、2名(1件)しかいなかったが、第2次募集期間では、応募者のうち、8割以上の122名(56件)が、「市教委松浦様経由」とされている。市教委は、第1次募集期間には、応募者の取りまとめは行っていなかったが、第2次募集期間では、大量の応募者を取りまとめて、内閣府に送付したのである。

    A さらに、市教委松浦は、第2次募集期間の応募者149名のうち、124名に、「当選」「一応当選に」「教委ダミー」と付記したが、第1次募集期間では、松浦はそのような当選者の指定はしていない。

B 第1次募集期間の応募者には、イベントの関係者として、「高倉小(生花)関係者」6名、「お茶関係者の友人」3名、「朱雀8小」3名等がいたが、これらはいずれも、一般申込者として応募しており、第2次募集期間の応募者のように、イベント関係者や市教委関係者を、市教委が一括して参加申込をしたり、当選者の指定はしていない。

     松浦が、第1次募集期間に一般申込をした、「お茶関係者の友人」3名らを「当選とするよう」依頼したのも、同年11月24日になってからであった。

    C 市教委松浦は、11月22日に、一般申込をしていなかった朱雀第3小学校関係者(壬生念仏)26名、高倉小学校関係者(お花)15名を、「別枠」で参加させるよう要請している(乙A9)。さらに、11月24日にも、太鼓関係者4名を「別枠」で参加させるよう要請した(乙A13)。

 

   カ このように、当初予定されていた8月18日のタウンミーティングに向けては、市教委は、応募者のとりまとめや、特定の応募者を当選とするように指定したり、一般申込をしていなかった者を別枠で参加させるようにとの要請は全く行っていなかった。

これらの事実からは、当初は、イベントをタウンミーティング開催前に実施する準備はしていたが、イベント終了後、それらのイベント関係者について、会場に残して、タウンミーティングに参加させることは予定していなかったと推測される。もし、当初からイベント関係者をタウンミーティングに参加させる予定だったのなら、市教委が、イベント関係者の参加申込や、「別枠」での参加要請を、8月の時点でも行っていたはずである。

 

キ 伊佐敷は、「7月下旬の段階で、(イベントに参加する)子ども達の座席も確保するという前提」だったというが(乙A22、2頁、また伊佐敷証人調書5頁)、このような参加申込の経過をみても、そのような準備はいっさいされていなかった。

この点について、松浦は、イベント関係者について、「一番最初の段階では、タウンミーティングの最初のアトラクションのみに参加をされるということになっておりましたが」と証言した。これは、当初は、イベント関係者は会場に入れる予定はなかったことを明白に認めたものである(松浦証人調書9頁)。

また、伊佐敷は、「文化芸術活動については、7月下旬の段階で、50人程度の子どもが参加する予定であるとの連絡を京都市教育委員会から受けていました。」(乙A22、2頁)というように、参加予定は、「50人程度の子ども」だったとしている。

     しかし、実際には、本件タウンミーティングでのイベント関係者席は、国の説明でも、最終的には、83名(国第2準備書面7頁)にもなっており、当初の予定から大幅に増えている。(この数字の太鼓関係者には、松浦が、11月24日に別枠の参加を要請した4名が抜けており、それを入れると87名となる(乙A13))。

また、たとえば太鼓の関係者では、総数36名のうち、子どもは15名にすぎず、「指導者」、保護者等の大人たちが21名にもなっていた(京都市第2準備書面5頁)。(この「指導者」とは、「引率者」のことと思われるが、松浦も「子どもたちの引率者であります、これは学校の職員でございますが」と、教職員であったことを認めている(松浦証人調書11頁)。)「50人程度の子ども」というように、当初は、このように多くの大人たちを優先的に参加させることは想定していなかったのである。

  

   ク 以上のように、第2次募集期間になって、市教委は、初めて、多くのイベント関係者や市教委関係者をタウンミーティングに参加させるよう画策したのである。

 

(2)応募者の追加募集、イベント関係者や市教委関係者の優先参加等により、「抽選の必要性」が作りだされた

   ア 上記のように、当初予定されていた8月18日のタウンミーティングに向けては、市教委も、参加者について、特に、介入をしていなかった。こうした状況が一変するのは、市教委が、7月〜8月の応募者リストをチェックし、申込者の中に、原告蒔田と朴の名前を見つけたことによる。

 

   イ 同年10月5日、松浦は、内閣府伊佐敷に対して、「かって河合長官が出席したイベントで、大声を出したり、進行妨害をしたため、警察官を関与させることになった者が、応募している可能性があるので、応募者のリストを確認したいと要請」した(乙A22、4頁)。そこで、伊佐敷は、同年7月〜8月の募集期間に参加申込のあった応募者リスト(乙A7)を松浦に送付した。

    松浦は、この応募者リストをチェックし、そこに蒔田、朴らの名前があることを見つけた。そして、10月下旬、伊佐敷に対して、「これまで注意喚起していた、河合長官の出席したイベントにおいて会場内でプラカードを掲げ、指名されなくても大声を発するなどし、進行の妨害をしたため、警察官を関与させることになった者というのは、蒔田直子さんであり、朴洪奎さんもその関係者である」と連絡した(乙A22、4頁)。

    伊佐敷は、当時、松浦から寄せられた情報について、「蒔田氏に関し、京都で河合長官が出たイベントで、暴力行為や警察騒ぎに発展する事態があった、暴力行為で京都市の職員ともみあった、---このような情報を聞き、何とかしないといけないと思った。」と述べている(乙A21、2頁)。

また、朴については、「蒔田氏の元夫であり、民族差別を訴える本に名前が出ていた。--そういう人物が本件TMにおいても反対活動する可能性があると思った。」(乙A21)、さらに「民団の支団長」というような虚偽の情報を内閣府に伝えた。

 

ウ さらに、同年11月上旬、松浦は伊佐敷に対して、「応募者が多くて抽選となった場合には、会場内で抗議活動等トラブルを起こす可能性のある蒔田さんと朴さんを落選とすることとしたい」と伝え、この両名を本件タウンミーティングに参加させないよう要請した(乙A22、5頁)。

 

エ 7月〜8月の応募者は、前述のように、すでに143名にもなっていたので、もう応募者の追加募集の必要はなかったが、市教委からの要請を受け入れ、蒔田、朴の両名の参加を阻止するためには、抽選という形式をとる必要があった。そのために、応募者を増やす方策がとられた。

そこで、応募者の追加募集、イベント参加者等、市教委関係者の大量動員などが行われたのである。

 

  オ 第1次募集期間では、20日間もかけて参加者を募集し、すでに143名が応募していた。タウンミーティングが延期されたとしても、まず、当初の募集期間の応募者を優先するのは当然である。現に、2007年に開催された新しい方式のタウンミーティングともいえる「大臣と語る希望と安心の国づくり」という催しでも、「第1次募集期間の応募者については、すべての方に参加証を送付します。」とされているのである(原告第4準備書面6頁)。

    伊佐敷は、追加募集した理由について、「8月の時点で参加を表明されていた方も11月27日という新しい日付だと来れなくなる可能性もある」(伊佐敷証人調書16頁)からと弁明しているが、7月〜8月の応募者の都合も聞かずに「抽選」して当選者を決めたのであるから、この弁明は通用しない。

  

カ こうして、11月12日から22日にかけて、応募者の追加募集が行われた。結局、応募者の募集期間は、20日+11日の合計31日間という、他のタウンミーティングにはない、長いものになったのである。

この点について、伊佐敷は、「本タウンミーティングの公表から実施までの期間は、他のタウンミーティングと比較しても極めて短いものでした。一般参加者の募集期間も、平成17年11月12日から21日までの11日間という短期間にならざるを得ませんでした。」(乙A22、5頁)と主張し、第9回口頭弁論でも、「非常に短いです。」(伊佐敷証人調書17頁)と証言したが、これは7月〜8月の募集期間を無視したものであり、全く事実に反している。

 

キ 第2次募集期間には、149名(70件)が参加申込をした。しかし、前述のように、そのうちの8割の122名(56件)は、市教委松浦がまとめて送付したものであった。一般の応募者はほとんどいなかったのである。

また、松浦は、124名(57件)もの応募者に、「当選」「一応当選に」「教委ダミー」などと付記して、当選者を指定した。

京都市は、「当選」と付記された者は、「太鼓の出演者及び重点周知地区の応募者」(京都市第2準備書面4頁)であり、「一応当選に」と付記された者は、「市教委職員とその家族で、特に強い参加希望を有していた」(同)者であるという。「当選」と付記した1名も市教委の職員であったことを認めている(同5頁)。(現に、申込番号037は、「当選」と付記されているが、備考欄には、「学校指導課」と記載されている。(原告第2準備書面、別表1−2)) 共催団体である市教委の職員らをこのように優先参加させたのは、タウンミーティングの趣旨に反し、きわめて不適切な操作である。

このように、参加者の追加募集期間中の応募者のほとんどは、イベント関係者や、市教委の関係者であったという事実は、追加募集そのものが、応募者を増やすための全くの「ヤラセ」であったことを示している。

 

ク また、第2次募集期間は、当初、11月21日までであったが、市教委は、「ハガキで応募する場合は郵便事情により、応募者の予想に反して応募期間内に届かなくなることもある。」(京都市第2準備書面1頁)として、11月22日まで延長するよう要請し、国もそれを受け入れた。

しかし、この延長された11月22日には、郵便による申込は1通もなく、市教委がFAXで申し込んだ32名(13件)の「教委ダミー」だけであった。市教委が、わざわざ募集期間を延長するよう要請し、「抽選の必要性」を確実にするために、念には念を入れて、「教委ダミー」の参加申込を一括して行うための延長だったのである。

 

ケ 以上のように、参加者を追加募集して、市教委関係者を大量動員し、さらに、イベント関係者を会場に残すなどの方法により、応募者を増やしたり、一般参加者席を減らすなどの方策がとられたのである。「抽選の必要性」は、原告蒔田、朴らの参加を阻止するために、こうした手法で意図的に作りだされたものであった。

 

2.イベント関係者が会場に残りたいと要望したのは、大臣、長官との記念写真のためであった

(1)従来、タウンミーティングでイベントが実施されることはなかった

ア 本件タウンミーティングの「開催概要及び参加者募集のご案内について」という文書(乙A2)や、開催が延期された後の文書(乙A4)でも、募集人員は「200名程度」とされていた。

     しかし、内閣府は、当初から、「関係随行者、TM室関係者及び記者席」等を30席、さらに、市教委の要請により、踊り、お花、太鼓等のイベント関係者の席を80席も用意しており、一般参加者の席は、100席しか準備していなかった(国第3準備書面7頁)。

さらに、市教委は、応募者リストのうち、42名について「当選」、「一応当選に」と指定し、これらの者の参加を要請したため、座席を10席増設しても、一般参加者に割り当てられた席数は、わずか68席でしかなかったという(国第3準備書面7頁)。

なお、当日の「関係者席レイアウト詳図」(乙A20)では、関係者席が30席、記者席が12席、手話通訳席が4席とられ、さらには、一般参加者の席にも、9名の「発言依頼者」とその「友人」らが座るようになっていた。

 

イ 特に問題となるのは、実際には83名(国第2準備書面7頁)にもなったという、イベント関係者の大量動員である。このようなイベント関係者の大量動員が、原告らをはじめ、多くの一般参加者の参加の機会を奪う結果となったのである(原告第4準備書面12頁)。

 

ウ 被告京都市は、このようにイベント関係者を大量動員した理由について、@文化芸術活動に携わる子どもたちの日常の体験学習の場、Aこれらの子どもたちが本件タウンミーティングに参加することは、本件タウンミーティングの趣旨に合致する、B出演者が本件タウンミーティングに参加できるようにしてほしいという引率者の要望があった、の3点をあげている(京都市第4準備書面11頁)。

しかし、たとえば太鼓の関係者は、総数36名のうち、子どもは半数以下の15名にすぎず、指導者(実際は教員(松浦証人調書11頁))、保護者等の大人たちが21名にもなっていた(京都市第2準備書面5頁)。あたかも子どもたちのことを配慮したかのような、上記の被告京都市の主張は通用しない。

そもそも、政府の国民対話の場であるタウンミーティングで、このようなイベントを行い、多くのイベント参加者を会場内に残したこと自体が、従来のタウンミーティングにはなかったことであった。この点については、伊佐敷も、「イベントが組み込まれることも稀だったのです。」(乙A22、2頁)と認めているとおりである。

 

 (2)イベント参加者の目当ては、「大臣との記念写真」であった

さらに、松浦は、第9回口頭弁論で、「子供たちの引率者であります、これは学校の職員でございますが、そこから引き続き残れるようにしてほしいと、こういうお話もございました。恐らく、たしかそのころタウンミーティングが終了した際に、登壇者と、つまり大臣、長官等ですが、一緒に記念写真を撮影できるということを内閣府から聞いていましたので、それがタウンミーティングの最後、終了した時点でということになっておりましたので、恐らくそういうことも考慮されて、引き続き参加をしたいということになったんだと思います。」と証言している(松浦証人調書12頁)。

    大臣、長官等との一緒の記念写真を撮れるということが、これらのイベント参加者が、会場に残りたいと要望した理由であった。そのために、原告ら一般参加者の参加の機会が奪われることになったのである。

    京都市と内閣府によって、「内閣と国民との対話の促進」、「国民のニーズを政策の企画立案や運営に反映させる上で重要な政策手段」としてのタウンミーティングの本来の趣旨、目的は全く無視されてしまったといえよう。

 

3.国、京都市が、原告朴の参加を阻止したのは、民族的偏見、差別意識によるものであった

 (1)「民族差別を訴える本に名前が出ているような人物は、タウンミーティングでも反対活動する」という決めつけ

ア 本件タウンミーティングの調査にあたった「タウンミーティング調査委員会」の加納弁護士、二之宮弁護士は、2006年12月、3回にわたって、市教委松浦に対するヒヤリングを行った。両弁護士の報告書(乙A21)には、「(松浦は、内閣府の伊佐敷に対して)朴氏については、蒔田氏の元夫であり、民族差別を訴える本に名前が出ていた旨伊佐敷氏に伝えた、と述べました。また、何故そのような情報を伝えたかに関しては、そういう人物が本件タウンミーティングにおいても反対活動をする可能性があると思ったからである、と述べました。」と記載されている(同2頁)。

     「民族差別を訴える本に名前が出ていた」ような人物は、「タウンミーティングでも反対活動をする可能性がある」という決めつけは、在日朝鮮人に対するまったく論理的根拠のない予断であり、正当化することができない。

 

イ 松浦は、第9回口頭弁論において、「蒔田さん、朴さんについての情報を申し上げたときに、(蒔田と朴の共著の)本がある旨は申し上げたと思います。」(松浦証人調書35頁)と認めている。「民族差別を訴える本に名前が出ていた」と伝えたことについては否定しているが(同)、そもそも、タウンミーティングの参加申込者について、どのような本に名前が出ているかというような情報を伝える必要など全くなかったはずである。

 

 (2)「民団の支団長」という虚偽の情報

   ア さらに、松浦は、朴について、「在日本大韓民国民団の支団長」であるという情報を国に伝えた。

伊佐敷は、その情報に基づき、本件タウンミーティングの準備のために開催された2005年11月14日のタウンミーティング室の定例会議に提出した「取扱注意」の文書(甲4の5、甲20)に、その旨を記載した。

     原告朴が、陳述書(甲26、6頁)、また、第10回口頭弁論の本人尋問(朴本人調書13頁 )でも述べたように、原告朴は、かって一度も「在日本大韓民国民団」に所属したことはなく、その催しに参加したこともない。この記載は、全く事実に反するものである。

 

   イ 伊佐敷は、この文書に「在日本大韓民国民団の支団長」と記載したことについて、第9回口頭弁論において、「これも松浦さんから聞きました。」、「10月下旬の時点だったと思います。」(伊佐敷証人調書14頁)と証言した。さらに原告代理人が「これも松浦さんから聞いたのですか」という質問した際にも、「そうです。」(同34頁)と、この情報は、市教委の松浦から伝えられたと、繰り返し証言している。

   

   ウ 被告京都市は、このような情報を「入手・収集したことはない。内閣府に伝えたことはない。」と主張し(釈明書)、松浦も、第9回口頭弁論で、このような情報を伊佐敷に伝えたことを否定している(松浦証人調書26頁、34頁)。

しかし、伊佐敷は、原告朴が、「(私は)民団の会員にもなったこともないのに、何故、そんな虚偽のことを書く必要があったのか」と、直接、聞いた際にも、「当時は朴さんについては、松浦さんから聞いたその情報のみが唯一知り得ていた情報だったんです。」(伊佐敷証人調書43頁)と証言している。「在日本大韓民国民団の支団長」という情報は、松浦から伝えられたものであることは明らかである。この点においても、松浦は偽証している。

 

   エ この「在日本大韓民国民団の支団長」という情報は、全く虚偽のものであったが、そもそも、各人がどの組織に所属し、またそこでどのような役職についているかという情報は、京都市個人情報保護条例等が収集を禁じる「思想、信条に関する個人情報」である(甲25、京都市『個人情報保護事務の手引』19頁)。

     とりわけ、在日朝鮮人にとっては、どの団体に所属するのかという問題は、それぞれの政治信条を表す、きわめて深刻な問題である。

     原告朴も、第10回口頭弁論において、「朝鮮人というのは政治的な立場というのは非常に微妙なとこに置かれてるんです。朝鮮半島は2つの政府に分かれてますから、分断されてますから、どちらに属するんかということは政治信条をあらわすことになるんです。だから非常にデリケートなんです。だから、民団に入るとか総連の何かに入るとか総連の支部のどこに入って会員だということを明らかにすることは一定の政治信条を表明することになるんですよ。」(朴本人調書12頁)、「それだけは本当に憤慨してます。それはとんでもないことでして、さっきも言いましたようにそれはもうほんまに友人関係とか社会関係を恐ろしく傷つけることになるんですね。いつから民団に入って、まして支団長でしょう。それはもう大変なことを表明することになって、ほんまに私の信頼が著しく損なわれますよ。」(朴本人調書14頁)と、強い怒りを表明した。

 

   オ 松浦は、「民団の支団長」という情報によって、何故、朴をタウンミーティングの参加を阻止しえる根拠と考えたのか?「民団」は日本において在日韓国人が属する有力な民族団体として広く認知されていて、在日韓国人の生活・文化・権利擁護等の活動を行っているが、その団体の「支団長」たる者に対して何故タウンミーティングの参加を阻止しなければならないのか? ここには「民団」に対する予断が存在することを強く疑わせ、さらにそれは朝鮮人に対する偏見すらうかがわせるものである。

 

   カ このように松浦は、原告朴について、「民族差別を訴える本に名前が出ていた」、「このような人物は、本件タウンミーティングにおいても反対活動をする可能性があると思った」として、その情報を内閣府に伝えた。さらに、朴が、「在日本大韓民国民団の支団長」であるという虚偽の情報を内閣府に伝えた。さらに、朴が暴力行為をしたかのような虚偽の情報も伝えている(乙A23、谷口陳述書)。そして、内閣府に対して、「応募者が多くて抽選となった場合には、会場内で抗議活動等トラブルを起こす可能性のある蒔田さんと朴さんを落選とする」よう要請し(乙A22、5頁)、本件タウンミーティングへの参加を阻止したのである。

このような松浦の行為は、虚偽の情報を流布し、それによって意図的に特定の個人の権利を侵害することを正当化しようとしたものであるが、このことによって侵害された人権はきわめて深刻であり、許容することはできない。

 

キ 当時、京都市の公立小中学校だけでも、約2000名もの外国籍の子どもたち(京都市教委が発表しているこの数字は、両親とも外国籍の子どもの数である。原告朴や原告蒔田と一緒に本件タウンミーティングへの参加を申しこんだ朴希沙のように、両親のいずれかが外国籍の子どもたちを加えれば、さらにその数は増える。)が在籍していた。京都市教育委員会も、「在日韓国・朝鮮人については、日本の植民地政策等の歴史的・社会的背景から民族的偏見や差別が根強く存在しており、その解消に向けての取組は本市教育の重要な課題である。」(甲11、京都市教育委員会『京都市立学校外国人教育方針』)と位置づけている。

今回のような松浦の行為は、特に公教育に従事する教育委員会職員として、決して認めることはできない。

 

   ク また、内閣府伊佐敷も、京都市松浦の、このような情報を、事実を確認することもなく(伊佐敷証人調書41頁)、そのまま受け入れ、朴と娘の朴希沙をタウンミーティングから排除した。伊佐敷は、松浦から伝えられた情報の事実確認をするという当然の行為をおろそかにした過失は、当然、その責任を負わなければならないが、さらにその虚偽の情報を基礎としても、それが意図的に抽選からはずす根拠にはならないことが明白にもかかわらず、抽選から除外したことは、松浦と同様の民族的偏見が伊佐敷にも存在したことを伺わせるものである。

     甲4の5、甲20の文書を「取扱注意」としたことにも、伊佐敷が、そのことを意識していたことを示している。

 

4.「住民監査請求や情報公開請求を行なって批判してくる可能性」が排除の要因になってはならない

(1)甲4号証、甲20号証の「取扱注意」の文書には、「『心の教育』はいらない!市民会議は、京都市道徳教育振興市民会議の河合隼雄に対する謝金に関する住民監査請求を実施」という記載がある。この記載について、伊佐敷は、「住民監査請求を実施ということについて松浦さんから聞いていたので、それを記載しています。」(伊佐敷証人調書32頁)と、市教委の松浦からの情報であったと証言した。

また、この甲4号証、甲20号証には、「蒔田氏が来場した場合、河合長官に対する強い抗議行動を実施するものと思われる。」とあるが、他にも「蒔田氏が参加した場合、---タウンミーティングの運営や経費等について、後日、情報公開請求等を行って批判してくる可能性もある。」とも記載されている。

伊佐敷は、この記載についても、「これは松浦氏の所見としてこういうことを言っていたんですが、それをそのまま記載してあります。」と証言し、さらに、原告代理人の、「これを言ったのは、松浦さんが言ったんですか。」という質問に対しても、「そうです。」と認めた(伊佐敷証人調書33頁)。

 

(2)原告蒔田が、京都市教育委員会の職員を相手にして、何回もの住民監査請求を行い、さらに住民訴訟の原告ともなってきたことは、先にも述べた。

京都市教委が、原告蒔田の参加を阻止した理由には、蒔田が、タウンミーティングの会場内でなんらかの「抗議行動」をするのではないかと考えただけではなく、蒔田が、本件タウンミーティングの運営や経費について、後日、情報公開請求や住民監査請求等を行なうことを危惧したことをうかがわせる。情報公開請求や住民監査請求は、民主主義の根幹を成す市民的権利であることは論をまたない。また、行政を監視する市民を敵視するかのような京都市からの情報に対し、指導するどころか、「そのまま」記載した国の責任もまた重大である。

   

5.実際には抽選など行われておらず、「抽選によらない不正な排除」があっただけである

(1)本件タウンミーティングでは、国、京都市は、「抽選の必要性」を意図的に作り出して、原告蒔田、朴、さらに両名の娘である朴希沙らの参加を阻止しようとしたのであるが、そこで行われた抽選の方法についても、実際には、全く抽選の呈を成していない。「作為的な抽選」が行われたことについては被告らも認めているが、実際には、「抽選によらない不正な排除」が行われたのである。

また、原告蒔田と朴の両名を排除するために、不正な操作に着手した時点で、すでに公正な抽選としての前提を欠いており、そもそも抽選そのものが、無効であったことは明らかである。

 

(2)今回は、原告蒔田と朴の応募者番号「5」と「9」を落選予定数字にし、さらに、担当者の「ランダムに、そのときに頭に浮かんだ数字」(伊佐敷調書20頁)として、「7」を落選番号にしたという。このようなやり方が抽選とは言えないことは、たとえば、宝くじの一等当選番号を担当者が作為的な基準で決めた場合、それは抽選とは言えず、批判が殺到することを考えてみても明らかである。

    従って、被告らが「作為的な抽選」だったと認める原告蒔田と朴、さらにその「とばっちり」を喰った原告松田だけではなく、原告松本についても、担当者の勝手な操作によって参加を阻止されたのである。

 

(3)伊佐敷は、原告蒔田と朴の応募者番号(「5」と「9」)以外の「7」については、「ランダム」に選んだと主張する(乙A22、伊佐敷陳述書8頁)。しかし、「5」と「9」は、0〜9のうち、後半の数字ばかりなので、もし任意に選ぶとすれば、前半の「0」から「4」などから選ぶのが自然であろう。

   このことからも、「7」についても、「ランダム」ではなく、伊佐敷が、原告松本をも排除する意図をもって選んだ数字である疑いが強い。

 

(4)原告松本は、「心の教育」はいらない!市民会議が発足した当時から、原告蒔田らと共に、再三、市教委への申入れや抗議行動に参加していた(松浦証人調書53頁、松本本人調書10頁)。松本は、同市民会議が市教委と交渉等をする場合、毎回、名前を名乗り、市教委の担当者もそれを記録している(松本本人調書P2)。

とりわけ、松本は、現職の京都市職員である。現職の京都市職員が、京都市教育委員会への抗議行動等に参加していたのであるから、マークされていたはずである。そのような人物を、市教委が名前も把握していないというのはあり得ない。

また、松本は、門川大作教育長(当時)らを被告として争われた教育実践功績表彰違法公金支出住民訴訟(平成16年(行ウ)第13号、2004年4月8日提訴)や、パイオニア調査研究委託事業違法公金支出住民訴訟(平成16年(行ウ)第42号、2004年9月24日提訴)の原告でもあった。市教委にとってはおなじみの名前であったのである。

「7」という番号は、決して「思いつき」で決められたものではなく、蒔田、朴と共に、松本の参加も阻止しようとしたとの疑いは、十分な根拠をもっている。

 

 

第3 被告京都市は、虚偽の主張を繰り返し、いっさいの責任を国に押しつけている

1 被告国と被告京都市の主張が対立している事項のまとめ

   本訴において、被告国と京都市は、事実関係について多くの点で主張が対立している。

   原告第4準備書面でも、両者の対立点について説明したが、その後の証人尋問を経て、ますます両者の対立は顕著になった。

たとえば、次のような点で、両者の主張は全く対立している。

 

   (1) 内閣府が、2005年10月に、7月〜8月の応募者名簿を送付したのは、京都市からの要請だったのか?

       ・内閣府:「京都市からの要請により応募者名簿を送った。」

    ・京都市:「京都市から応募者名簿を送るよう要請していない。」

(2) 京都市は、原告蒔田に関して、どのような情報を内閣府に伝えたのか?

・内閣府:「京都市から、蒔田が『プラカードを掲げ、大声を発するなどした。暴力行為や警察騒ぎに発展する事態があった。暴力行為で京都市の職員ともみあった。』と連絡があった。」

・京都市:「蒔田は『そのような行為をした団体の関係者』だと連絡した。」

 (3) 京都市は、原告朴に関して、どのような情報を内閣府に伝えたのか?

    内閣府:「京都市からは、朴について、蒔田の『元夫』、『民族差別を訴える本に名前が出ていたような人物』、『在日本大韓民国民団の支団長』との情報が伝えられた。」

    ・京都市:「京都市は、朴について、蒔田の『元夫』、『民団の支団長』とは伝えていない。」

(4) 京都市は、蒔田、朴の2人を本件TMに参加させないよう内閣府に要請したか?

       ・内閣府:「京都市からは、蒔田、朴の両名をTMに参加させないよう要請があった。」

    ・京都市:「京都市は、蒔田、朴の両名をTMに参加させないよう要請していない。」

    (5) 京都市は、2005年11月に、いかなる理由で応募者名簿を送付するよう要請したの

か?

    ・内閣府:「京都市からは、応募者の中に必ず当選としてもらいたい者と、当選としなくてよい者がいるため、チェックしたいので応募者リストを送るよう要請を受けた。

    ・京都市:「京都市は、当選となるようお願いしたい者がいるとは伝えたが、当選としなくてもよい者がいるためとは言っていない。」

(6) 「当選」、「教委ダミー」等の記載は誰がしたのか?

 ・内閣府:「『当選』『一応当選に』『教委ダミー』等は、京都市の松浦が記載した。」

 ・京都市:「松浦にはそのような記憶がなく、この付記を誰がしたのか分からない。」

(7) 京都市は、5 人の子どもたちや保護者らに対して「発言依頼」をしたのか?

・内閣府:「京都市が、事前に発言依頼をし、その発言内容を把握していた。」

   ・京都市:「京都市は、発言希望者を把握、確保はしたが、発言を依頼してはいない。」

 

2.両者の対立事項のほとんどについて、京都市が虚偽の主張をしていると断ずべきである

   これらの対立事項のほとんどは、京都市が虚偽の主張をしていることは明らかである。

   以下、京都市の主張が事実に反していると思われる理由について説明する。

 

(1)内閣府が、2005年10月に、7月〜8月の応募者名簿を送付したのは、京都市からの要請だったのか?

ア 国は、「市教委からの要請により、応募者名簿を送付した。」(国答弁書5頁)と主張し、伊佐敷も、「10月5日に、市教委の松浦氏より、かって河合長官が出席したイベントで、大声を出したり、進行を妨害したため、警察官を関与させることになった者が応募している可能性があるので、応募者のリストを確認したいとの要請があり、私から応募者リストを送付しました。」(乙A22、伊佐敷陳述書4頁)と、京都市から、応募者をチェックするために応募者リストを送付するよう要請があったと認めている。

 

イ ところが、京都市は、「応募者名簿を送るよう要請していない。追加周知の必要性を判断するために、『応募状況の分かるもの』の送付を求めた」と主張する(京都市答弁書5頁、京都市第2準備書面1頁、京都市第4準備書面2頁)。

しかし、2005年7月〜8月の応募者は、すでに143名にもなっており、それ以上の「追加周知」は必要なかった。しかも、同年11月12日〜22日の応募者(149名)の8割(122名)は、市教委からの一括応募者であり、「追加周知」などとは関係なく、市教委が参加者を動員したものである。

 

ウ 松浦は、すでに、同年8月1日に、「心の教育はいらない!市民会議が、以前河合隼雄のイベントで、進行の妨害をし、警察官が関与したことがある。今回、その人達が応募する可能性がある。」(乙A22、3頁)と伊佐敷に伝えている。同年10月の要請も、応募者をチェックするために応募者リストを送付するよう求めたことは明らかである

さらに、伊佐敷は、第9回口頭弁論でも、「具体的には電話になるんですが、タウンミーティングの応募者の中に以前申し上げた河合長官のイベントで抗議活動を起こしたメンバーが入っている可能性があるので、京都市においてそれを確認したいので、リストを送付していただきたいという要請を受けました。」(伊佐敷証人調書8頁)と証言し、「松浦さんはそんなふうな要請はした覚えがないとおっしゃっていますが」という質問に対して、「覚えがないというのは事実ではないと。事実に反していると思います。」(同37頁)と、松浦の主張は虚偽であると断言した。

 

(2) 京都市は、原告蒔田に関して、どのような情報を内閣府に伝えたのか?

ア 国は、京都市から、「(原告蒔田が)プラカードを掲げ、大声を発するなどした。暴力行為や警察騒ぎに発展する事態があった。暴力行為で京都市の職員ともみあった」本人であるという情報が伝えられたと主張している。

たとえば、国によると、蒔田に関して、次のような情報が京都市から伝えられたという。

・「市教委から、蒔田と朴について、『他のイベントにおいて、会場内でプラカードを掲げ、指名されなくても大声を発するなどした者及びその者と関係があると見られる者』であるとの情報提供がなされ」(国答弁書10頁

・「蒔田氏はこの市民会議の中心的メンバーであり、京都市教育相談総合相談センターでの開館1周年イベントにおいて、会場内でプラカードを掲げ、指名されなくても大声を発するなどした。」(甲4、甲20)

・「10月下旬、松浦氏より、これまで注意喚起していた、河合長官の出席したイベントにおいて会場内でプラカードを掲げ、氏名されなくても大声を発するなどの、進行の妨害をしたため、警察官を関与させることとなった者というのは、蒔田直子さん」(乙A22、伊佐敷陳述書4頁)

・「蒔田氏に関し、京都で河合長官が出たイベントで、暴力行為や警察騒ぎに発展する事態があった、暴力行為で京都市の職員ともみあった、との情報を提供された」(乙A21、「加納・二之宮報告書」2頁)

・「松浦氏は、---河合長官が出席したイベントでの出来事として、---冒頭から5〜6人の団体が会場内でプラカードを掲げ、中には大声を出す人がおり、河合長官の講演が妨害された、スタッフが何度も退出を要請したが無視された、その中に蒔田氏もおり(蒔田氏がいることはすぐにわかった。)蒔田氏も含めて退出させて別室に移動し、警察の事情聴取を受けさせた、---と述べました。」(乙A21、「加納・二之宮報告書」2頁)

 

イ ところが、京都市は、「(原告蒔田は)このような行為をした団体の関係者である」と伝えたのであり、「蒔田氏本人の行為とは言っていない」と主張し(京都市第1準備書面1頁、同4頁、第2準備書面5頁、第4準備書面3頁、同4頁、松浦陳述書7頁、松浦証人調書15頁等)、両者の言い分は真っ向から対立している。

 

ウ この点については、タウンミーティング調査委員会の調査に携わり、伊佐敷や松浦のヒヤリングを行った加納克利、二之宮義人両弁護士の「報告書」(乙A21)が詳細に触れており、国と京都市の主張のどちらが真実かは一目瞭然である。

この報告書で、両弁護士が、「蒔田氏および朴氏が所属する団体についてではなく、あくまでも蒔田氏及び朴氏についてどのような情報を有しており、その情報をどのように伊佐敷氏に伝えたのかについて尋ねました。」(乙A21、2頁)として行なった当初のヒヤリングでは、蒔田本人の行動と説明していた松浦が、「政府調査報告書」の公表後、蒔田はそのような行動をしていた団体の「関係者」であると伝えたと説明を変えたことが分かる。

そして、両弁護士は、「蒔田氏が『関係者』にすぎないということは、それ以前のヒヤリングにおいては聞いていなかったことです。」、「松浦氏は、プラカードを掲げていたことを伝えたことについても、蒔田氏についてのことであることを否定したのですが、少なくともこの点については、前述のとおり、調査報告書の公表前に間違いないことを確認しているところです。2月8日のヒヤリングにおいては、松浦氏に対し、『関係者』にすぎないというのなら、その確認の際、何故、調査報告書の記載の訂正を求めなかったのか尋ねたのですが、合理的な説明は得られませんでした。」(乙A21、3頁)と延べ、結論部分でも、「これらのことから、松浦氏は、全体的に本件タウンミーティングにおける自らの関与について説明を合理的理由なく変遷させている印象を受けました。」(同4頁)と、松浦を痛烈に批判している。

 

エ ところが、この点について、被告京都市は、「松浦が伝えた内容について、被告京都市と被告国との事実認識に違いがあるのは、内閣府の担当者が松浦の伝えた内容を取り違えたからと思われる。」(京都市第4準備書面3頁)と主張し、松浦も、「(調査)報告書の内容は、杜撰な調査に基づく不正確なものであったと考えています。」(乙B14、松浦陳述書7頁)とまで言い切っている。

    

オ また、松浦は、加納弁護士らから、事前に「政府調査報告書」予定文書を示され、内容の確認を求められたことについて、「1分程度の極めて短時間の中で確認を求められ、また、コピーをとることもできませんでした」(乙B14松浦陳述書7頁)と弁明している。さらに、第9回口頭弁論でも、「1〜2分経過した後にすぐ回収された」、「今にして思いますと、内容を詳細に確認できなかった」などと証言した(松浦証人調書26頁)。

しかし、この点について、国代理人から、「あなたもオーケーということで確認したんじゃないんですか」、「時間が足りないからもう少しじっくり確認させてくれと申し出なかったのか」などと聞かれ、しどろもどろの対応しかできていない(松浦証人調書57頁)

 

カ さらに、もし「政府調査報告書」の内容が誤っていたのなら、京都市は、内閣府に訂正を求めたはずであるが、京都市はいっさいそのような訂正の申入や抗議などは行なっていない。(乙A21、「加納・二之宮報告書」3頁、松浦証人調書32頁)

これらの事実からも、被告京都市、松浦らの主張は通用するものではなく、全くの虚偽のものであることは明らかである。

 

キ また、伊佐敷が作成した「取扱注意」の文書(甲4、甲20)に記載されている、「蒔田氏が来場した場合、河合長官に対する強い抗議行動を実施するものと思われる」という記載や、「京都市教育委員会や内閣府に対し、TMの運営や経費等について、後日、情報公開請求等を行って批判してくる可能性もある」なども、松浦から伝えられた情報であった。(伊佐敷承認調書33頁)

 

ク なお、松浦は、第9回口頭弁論で、「蒔田さんについては著名な方でございますので、一定、情報をお聞きしたことがございます。」(松浦証人調書53頁)と証言した。市教委に質問や抗議に来る市民について、市教委が情報を収集していることを認めたものであり、個人情報の不適正な収集がなされていることをうかがわせる。

 

(3) 京都市は、原告朴に関して、どのような情報を内閣府に伝えたのか?

ア 内閣府伊佐敷が作成した「取扱注意」の文書(甲4、甲20)には、原告朴について、蒔田の「元夫」と明記されている。

国は、京都市から、朴は蒔田の「元夫」であるとの情報が伝えられたと説明しているが(乙A22、伊佐敷陳述書4頁、甲20)、京都市は、「『元夫』とは伝えていない。『夫であると思われる。ただし、現在も夫であるかまではわからない』と伝えたのである。」(京都市第4準備書面5頁)と、それを否定している。

第9回口頭弁論でも、伊佐敷は、「朴さんは蒔田さんの元夫であると松浦さんは言っておりました。」(伊佐敷証人調書10頁)、「元夫という言葉だった」(同)と証言したが、松浦は、元夫というような伝え方はしていないと、それを否定した(松浦証人調書17頁)。

 

イ そもそも、松浦が、蒔田と朴が夫婦であるということを知っていること自体が不可解である。

この点について、松浦は、第9回口頭弁論で、「蒔田さんがご夫婦で、ご主人で朴さんという方がいらっしゃるということについては、教育委員会の職員の中で聞いた話として認識しておりました。(松浦証人調書34頁)、「職員間の中の話題として挙がったということです。」、「職員間の通常の話の中で出てきたことでございます。」(同54頁)とも証言している。

市教委の職員は、「話題」として、特定の市民についての情報交換を繰り返し、それを公務に利用している実態を認めたものであり、許しがたい。

 

ウ また、松浦は、「蒔田さんと朴さんはご夫婦であったと。ただ、夫婦であった時期というのはかなり以前の段階での話と聞いておりましたので、タウンミーティングの申込があった段階で、その段階でもご夫婦であるかどうかというのは分からないと、そういうことも含めてお伝えしたと思います。」(松浦証人調書15頁)とも証言した。しかし、「その段階でも夫婦であるかどうか分からない」というようなことまでを敢えて公務において伝えたということ自体が、極めて不適切なことである。

 

エ しかも松浦は、陳述書では、「内閣府の文書の中に、朴氏が蒔田氏の『元夫』とあるのは、応募者リストの中での2人の住所が異なっていたことから、現在は婚姻していないと内閣府が判断したからと考えています。」(乙B14、松浦陳述書4頁)と説明していた。しかし、第9回口頭弁論では、「申込リストが届いた段階で、朴さんと蒔田さんの住所が異なっておりました。したがって、以前は夫婦であったのは間違いないが、申込があった段階でもご夫婦かどうかまでは分からないと、このように申し上げました。」(松浦証人調書34頁)と、そう判断したのは、内閣府ではなく自分であったと、全く異なった証言をしている。

第9回口頭弁論では、国の代理人も、松浦に対して、陳述書との矛盾を指摘したが、松浦は、証言内容を変えなかった(松浦証人調書54頁)。

このように、松浦の主張は、きわめて矛盾に満ちたものであり、「『元夫』とは伝えていない。」という同証人の弁明は到底信用できない。

 

オ 「加納・二之宮報告書」(乙A21、2頁)でも、両氏が松浦にヒヤリングをした際には、松浦は「蒔田氏の元夫であり、民族差別を訴える本に名前が出ていた」と述べたと報告されている。松浦が、朴は蒔田の「元夫」と伝えていたことは、この「報告書」からも明らかである。

 

カ なお、同「報告書」でも、松浦が、朴について、「民族差別を訴える本に名前が出ていた」と伝えていたことが記載されているが、松浦は、この点についても、証言で否定した。(松浦証人調書35頁)

また、伊佐敷が作成した取扱注意の文書(甲4、甲20)にあった、「在日本大韓民国民団の支団長」という情報についても、伊佐敷は、繰り返し、「松浦から聞いた」と証言しているにもかかわらず(伊佐敷証人調書14頁、34頁)、松浦は、そのようなことは言っていないと否定し続けている(松浦証人調書26頁,33頁,34頁)。

伊佐敷は、この情報を聞いた時期は「10月下旬だった」と具体的に述べているし(伊佐敷証人調書14頁)、このような情報がインターネットの検索で入手できるはずもないから、やはり松浦から伝えられたと断定できる。

    

(4) 京都市は、蒔田、朴の2人を本件タウンミーティングに参加させないよう内閣府に要請したか?

ア 国は、「内閣府の当時の担当者に、京都市教育委員会から、原告蒔田及び同朴を文化力タウンミーティング・イン・京都に参加させないよう要請があった事実は認める。」(国答弁書5頁)と、2人のタウンミーティングへの参加を阻止したのは、京都市からの要請であったと認めている。

具体的には、「11月上旬頃、松浦氏から『応募者が多くて抽選となった場合には、会場内で抗議活動等トラブルを起こす可能性のある蒔田さんと朴さんを落選とすることとしたい』との希望が伝えられました。」(乙A22、伊佐敷陳述書5頁)というのである。

 

イ しかし、このような重大な事実について、京都市は、「両名を本件タウンミーティングに参加させないよう要請していない。」(京都市答弁書6頁、京都市第4準備書面6頁)、「『応募者が多くて抽選となった場合には、会場内で抗議活動等トラブルを起こす可能性のある蒔田さんと朴さんを落選とすることとしたい』ということを内閣府の担当者に伝えたことは一切ありません。」(乙B14、松浦陳述書4頁)と、国の主張を真っ向から否定している。

 

ウ 伊佐敷は、第9回口頭弁論において、「(11月上旬になって松浦さんから)タウンミーティングの応募者が多くなって、抽選を行うこととなった場合は、この蒔田さんと朴さんの両名を落選としていただきたいという要請を受けました。(伊佐敷証人調書11頁)と証言し、さらにその理由についても、(「そのとき松浦さんの方で、まず蒔田さんを落選させたいという理由については何か説明がありましたか。」という質問に対して)やはり今回も警備上、特に子どもたちが多く参加している場でそういう激しい抗議行動などが起こってしまうと、イベントの進行ができなくなってしまうかもしれないことを懸念して、そういう要請があったということです。」と詳しく説明している(伊佐敷証人調書11頁)

そして、「上司に対しても松浦さんから受けた情報と要請について報告をしました。」(同12頁)と証言しているが、谷口室長や田邊参事官らも、「既に市教委側より、蒔田氏及び朴氏を抽選により落選させるよう要請がなされており」(乙A23、谷口陳述書2頁)、「既になされていた、蒔田さんと朴さんを抽選で落選させてほしいとの市教委の要請も踏まえ」(乙A24、田邊陳述書2頁)などと、その事実経過を具体的に述べている。

 

エ 2005年11月22日の昼間、伊佐敷は、蒔田、朴の2人を落選させるという方針について、上司の了解を取った後、その決定を、すぐに松浦に伝えている(伊佐敷証人調書21頁)。伊佐敷は、事前に、松浦から、2人を落選とするよう強い要請があったからこそ、方針決定後、すぐに、このような電話を松浦にしたと考えられる。

 

オ 以上、京都市は、蒔田、朴の2人を本件タウンミーティングに参加させないよう要請したことは明らかである。そもそも、その目的がなければ、二人の情報を国に伝える必要もなかった。

この点について、松浦は、「国の方で何らかの間違いをされているんだと思います。」(松浦証人調書46頁)と証言し、ここでも国にその責任を押しつけている。

 

カ 松浦は、蒔田、朴に関する情報を伝えた理由について、「タウンミーティングの開催に当りまして、参加者の安全を守るということは何よりも大事だと思っておりました。それで、河合長官の講演会の際の事件については、正確に客観的事実をお伝えした」(松浦証人調書45頁)と証言した。

しかし、その時の証言では、国からそのような情報を教えてほしいという要請はなかったことも明らかになっている(同45頁)。

また、「参加者の安全を守る」ということは、過去の市教委のイベントで、原告蒔田らが、あたかも参加者に危害を加えたかのような印象を与える、言われなき中傷である。

 

(5)京都市は、2005年11月に、いかなる理由で応募者名簿を送付するよう要請したのか?

ア 国は、「(京都市からは)応募者の中に必ず当選としてもらいたい者と、当選としなくてよい者がいるため、チェックしたいので応募者リストを送るよう要請を受けた。」(国答弁書9頁)と主張しているが、京都市は、「京都市は、当選となるようお願いしたい者がいるとは伝えたが、当選としなくてもよい者がいるためとは言っていない。」(京都市第2準備書面2頁)と反論している。

しかし、京都市が行った「教委ダミー」の指定は、まさに、「当選としなくてもよい者」であり、この点でも、京都市の主張は事実に反する。

 

イ また、京都市が、この時点で、応募者名簿の送付を要請した理由は、「当選」等の指定をするためだけではない。先に、7月〜8月の応募者名簿を入手して、そこに蒔田と朴の名前を見つけ、二人の参加を阻止するよう内閣府に要請したように、11月の応募期間に、他の、「心の教育」はいらない!市民会議のメンバーが参加申込していないか、チェックするためであったと考えられる。

 

(6) 「当選」「一応当選に」「教委ダミー」等の記載は誰がしたのか?

ア 松浦は、送られてきた応募者名簿をチェックし、78名に「当選」、「一応当選に」と付記し、さらに、46名に「教委ダミー」と付記した。

  これは、松浦が、2005年11月22日20時41分に伊佐敷に送付したメール(乙A9)に添付したリストに書きこまれたものであって、松浦以外の者が記載できるはずはないにもかかわらず、京都市は、「担当者の記憶が定かでないため、---経緯については不明である。」(市第2準備書面4頁)と主張する。松浦も、「(これらの)付記を誰が行なったのかについて記憶がありません。」(乙B14、松浦陳述書6頁)と開きなおり、第9回口頭弁論でも、「そういったことについては記憶がございません。」(松浦証人調書37頁)、「(誰がつけたのか)分かりません」(同48頁)と証言している。

 この点については、「加納・二之宮報告書」(乙A21)でも、「松浦氏は、同氏からのメールに添付されていたエクセルファイルに記載されていたものであるにもかかわらず、記憶にないと述べ」(同3頁)たとコメントし、松浦の虚言を強く示唆している。

 

   イ このように、全く否定しようのない事実であるにもかかわらず、「記憶にない」、「記憶が定かでない」、「誰がつけたのか分からない」などと開きなおる京都市と松浦の姿勢は、公共団体、公務員に対する市民の不信を一層深めるものである。

 

(7) 京都市は、5 人の子どもたちや保護者らに対して「発言依頼」をしたのか?

ア 政府調査報告書(乙A15)では、本件タウンミーティングについて、「タウンミーティング室から京都市に発言依頼がされた。」、「5人に依頼、うち4人が実際に発言」(同資料編135頁)などと明記されている。

また、本訴でも、国は、「(京都市が)事前に5名に発言依頼をし、その発言内容を把握していたことは認める。」(国答弁書4頁)と、発言依頼があったことを認めている。

  

イ ところが京都市は、「発言希望者を把握、確保はしたが、発言することを依頼したことはない。」(第4準備書面7頁)、「事前に発言希望者とその発言内容について把握していましたが、発言内容について依頼したことはありません。」(乙B14、松浦陳述書5頁)と、発言依頼の事実について否定している。

     さらに、京都市は、「市教委は、発言依頼を行っておらず、政府調査報告書の内容は誤りである。」(京都市第2準備書面7頁)などと、「政府調査報告書」の信頼性まで否定している。

 

ウ 市教委作成の「京都市において開催されたタウンミーティングについて」という文書(甲8)では、「内閣府と京都市との協議の結果、---以前、質問される方がほとんどいなかった事例もあったため、議論活発化のため口火を切って発言する人等があったほうがよい。---との認識から、5人程度の質問希望者を事前に把握・確保し、希望者が質問したい内容を京都市から国に報告することとなった。」と記載されているが、何故、発言内容まで事前に把握し、国に伝える必要があったのかには言及していない。

  このような「発言内容の把握」自体が、発言内容の事前チェックにほかならない。

 

  エ また、京都市は、「発言希望者の事前把握」について、「本件TMに参加する意向を持っていた子どもが、自発的に学校の教員に対して、本件TMで発言したい内容を伝え、学校から市教委に伝わったことにより、市教委は子どもの発言内容を事前に把握するに至った。」(第2準備書面7頁)と主張する。

しかし、2007年1月9日の京都市議会文教委員会で、在田市教委総務部長は、「学校などを通じまして、発言したい方がいないかということ、あるいは、なければ発言してもらえるような方はいないかということで、確保したものでございます。」(甲41、「京都市会文教委員会記録」44頁)と説明しており、本訴での主張とは食い違っている。

    このように、京都市は、事前に発言する子どもたちを「確保」し、その内容をチェックしたのである。

 

3 公務員・松浦の偽証は断罪すべきもの

  このように、本訴においては、多くの点で、被告国と被告京都市の主張は、重要なところで対立しており、第9回口頭弁論での、伊佐敷と松浦の証言内容も真っ向から食い違った。すなわち、伊佐敷と松浦のどちらかが偽証していることとなる。

   そして、前述のように、被告間での主張の対立のほとんどは、京都市が虚偽の主張をしていることが明らかである。松浦は、第9回口頭弁論でも、偽証を繰り返した。

   特に、松浦が、原告蒔田が暴力行為を行ったなどの虚偽の情報を内閣府に伝えた事実を否定していること、原告朴が、蒔田の「元夫」であり、「在日本大韓民国民団の支団長」であるという虚偽の情報を内閣府に伝えた事実を否定していること、蒔田、朴の2人を本件タウンミーティングに参加させないよう内閣府に要請したことを否定していること、「当選」「教委ダミー」などの記載を、「誰がしたか分からない」としていることなどは、とりわけ看過できない偽証である。

   松浦は、第9回口頭弁論の証言にあたっても宣誓を行ったが、特に彼は、地方公務員であり、京都市職員として採用されるにあたっても、「私は、ここに主権が国民に存することを認める日本国憲法を尊重し、且つ擁護することを固く誓います。---市民の奉仕者として誠実且つ公正に職務に従事することを誓います。」(京都市「職員の服務の宣誓に関する条例」)と宣誓を行ってきたはずである。地方公務員である松浦の偽証は、許されるものではない。

     

 

第4 本件タウンミーティング不正に至るまでの背景(京都市教育委員会と文科省の動き)

1 「心の教育」の押しつけ、管理と分断の中で苦しむ子どもたち

(1)文部科学省による『心のノート』の作成配布

ア 2002年春、文部科学省は、『心のノート』という冊子を作成し、全国の全ての小・中学生1200万人に配布した。このノートは、小学校1・2年用、3・4年用、5・6年用、中学校用の4種類からなっており、その内容は、学習指導要領・道徳編にもとづいて作られている。文部科学省は、「教科書ではなく、---副読本や指導資料に代わるものではない」というが、実質的には、文科省著作の「道徳の国定教科書」ともいうべきものであった。

   さらに、文部科学省は、『心のノート』の配布状況調査等を行い、その配布・使用状況をチェックして実質的に使用を強制した。

 

イ 『心のノート』作成協力者会議の座長には、河合隼雄氏が就任した。心理学の操作手法を巧みに取り入れ、学校で子どもたちが直面する様々な問題が、すべて子どもの「心」に起因するとして、その内面や、親の接し方に収斂させていくものであった。一貫しているのは、「すなお」で、従順で、現存するものを受け入れて「感謝の心」を持ちましょうというメッセージである。そして、中学生版の最後では、「我が国を愛しその発展を願う」と、「心」が向かうべき方向が、「愛国心」に集約されていく(甲42)。

     当時、政府は、教育基本法「改正」を目指していたが、『心のノート』の配布は、「愛国心」教育を盛り込もうとしている、教育基本法「改正」の先取りであった。

 

(2)管理と競争の中で縛られ、分断される子どもたち---特に、原告朴、蒔田の娘・朴希沙の場合

  ア 教育現場では、こうした「心の教育」の押し付けと同時に、格差と統制を強める、新自由主義的改革が推し進められ、学校に競争原理、市場原理が導入されている。そして、教職員、さらに子どもたちまでが、管理と競争で縛られ、分断されていった。

    (このような教育現場の現状の中で、追い詰められている京都市の子どもたちの状況については、野田正彰氏の著作・『子どもが見ている背中---良心と抵抗の教育』(岩波書店、甲43)に詳しい。)

      

イ 原告朴、蒔田の娘・朴希沙は、『心のノート』が配布された2002年当時、中学生であったが、その頃から、成績表は、全教科で、「関心・意欲・態度」という、本来、評価のしようのない内面が点数化されるようになっていた。評価項目は、1年間で272項目にもなったという。彼女は、毎回の授業の最後に提出しなければならない「自己評価」に悩み、建前どおりの「正解」に向けて、「ウソをつく訓練をしているみたい。」とまで言っていたという(甲29、蒔田陳述書3頁)。 また、学校の教員は、「関心・意欲・態度がよくないといい成績はつけない」、「高校にいけなくなるぞ」と、生徒たちを脅した(甲36)。

  彼女は、当時の様子を、次のように記している。

   「学校での生活は正直言って苦しいものでした。---私たちは、たえず大人からの監視を受けていた。『心のノート』や自己評価表は私たちに教えてくれた。うまく生きていけるのはこういう日本人ですよ。疑問なんて持つのはやめましょう。そんなのめんどくさいだけですよ。多数派はこういう人たちなのです---そして、多数派はいつも正しいのですよ、と。私は、毎日毎晩、一日を振り返り悔しさと情けなさでいっぱいだった。『あんなくだらないことに従うなんて!』とか、『私は勇気がない!』そう頭の中で繰り返し、自分を責めていた。」(甲36、『教育基本法「改正」に抗して』岩波書店、2006年6月4日発行、24頁)

 

  ウ 原告蒔田は、本件タウンミーティングが開催されることを知った時、娘の朴希沙に、参加する意向はあるかと聞いた。彼女は、何日か一人で考えた後に、参加したいと返答した。原告蒔田は、朴希沙が、学校で直面している問題を知っていたから、彼女がもし何か発言したいのなら、そのことを何よりも大切にしたいと考え、本件タウンミーティングに応募したのである(甲29、蒔田陳述書8頁)。

 

2 「心の教育」はいらない!市民会議の発足と、市民への回答拒否を続ける京都市教委

(1)京都市教委による道徳教育振興キャンペーンと、「心の教育」はいらない!市民会議の発足

  ア 2001年8月、京都市教育委員会は、京都から道徳教育を全国に発信するとして、京都市道徳教育振興市民会議を発足させた。初代座長には、河合隼雄氏が就任した。

    この京都市道徳教育振興市民会議は、『心のノート』が全国の小・中学生に配布された直後の2002年6月、河合隼雄氏の発案により、「道徳教育1万人市民アンケート」を実施した。

    このアンケートは、「生きていく上で大切なことについて、お尋ねする」(アンケート調査表)とされていたが、その内容は、「あなたは自分の国を愛することについてどう思いますか。」、「先祖のお墓まいりをすることについてどう思いますか。」など、77項目に及んでいる。思想、良心の自由に介入し、また、個人や家庭のプライバシーにまで踏み込んだ設問が多かった。特に、当時、市内の公立学校に通う、2000人以上の外国籍の子どもたちの存在を完全に無視したものとして、多くの疑問が寄せられた。

    また、このアンケートは、学校では授業時間中に行なわれたり、保護者に対しても、PTAや関係団体に割り当てられたもので、半ば、強制的なものであった。

    河合隼雄氏は、このアンケートについて、「日本にはアンケートぐらいしか神がいない。---『お上』から言うのは反発がおこるし、それならアンケートをしてみたらどうやというわけだ。」(毎日新聞 2002年8月20日)と、このアンケートの狙いが、「価値規範を上からではなく、下から示そうという試み」(「週刊・東洋経済」2002年12月29日・1月5日合併号)であるとコメントした。

    しかし、この発言については、「アンケートを神とするということは、その時の多数派の意見を道徳規範とするものであり、それは、少数者を排除する社会にほかならない。」という批判が寄せられている。(三宅晶子『「心のノート」を考える』岩波書店)

 

  イ このような、個人や家庭のプライバシーに土足で踏み込み、一定の価値規範を押しつけようとする、京都市道徳教育振興市民会議の「道徳教育1万人市民アンケート」に対して、まず、学校に子どもを行かせている親たちが疑問を持ち、自然発生的に集まって話しあった。その後、市民、学校の教員、そして学者らが集まり、問題点や対応を相談した。そして、2002年7月26日、京都市道徳教育振興市民会議に対して、「道徳教育1万人市民アンケート」の中止と、市民との公開の話し合いに応じるよう申入れを行なおうということになった(甲30)。

    これが、「心の教育」はいらない!市民会議という市民グループの発足である。会員制の固苦しい組織ではなく、緩やかなネットワークのような集まりである。

    代表には、故林功三京大名誉教授が就任し、京都市道徳教育振興市民会議への申入書には、蒔田の名前、電話番号等が連絡先として記載された。

    

(2)市民との話し合い、文書回答などを拒否し続けてきた、京都市道徳教育振興市民会議と京都市教委

  ア 上述の、「心の教育」はいらない!市民会議の申入書(甲30)に対して、京都市道徳教育振興市民会議からは、何の回答もなかった。そこで、「心の教育」はいらない!市民会議は、同年8月6日(甲44)、9月28日、12月4日(甲31)等、再三にわたって、京都市道徳教育振興市民会議に対して、話し合いの申入れを行なったが、やはり、全て無視された。さらに、同年12月25日、「道徳教育1万人市民アンケート」の問題点を具体的にあげた公開質問状(甲32)を提出し、文書回答と話し合いを申し入れたが、それでも何の回答も寄せられなかった。

    そして、2003年1月10日に開催された京都市道徳教育振興市民会議の会議では、小寺座長が、市民から質問状が来ていることを報告し、「こうした個々の申入れに対しては、市教委とも相談したが、今後も会議を主体的に進めるために、個別には答えない。」と述べた。他の委員からは発言もなく、市民への回答拒否という方針を全員が承認してしまったのである。(甲33、この会議には、「心の教育」はいらない!市民会議のメンバーら、多くの市民も傍聴し、その経過を確認している。)

    なお、その後、一人の委員が、「(市民と)もっと広く話し合うべき」(東京新聞2003年7月9日)と抗議して辞任したが、それでも、京都市道徳教育振興市民会議としての態度は変わらなかった(乙B3,61頁)。

    「心の教育」はいらない!市民会議は、同年1月15日、ただちに、京都市道徳教育振興市民会議に抗議文(甲33)を提出し、話し合い拒否という方針の撤回と、公開質問状への文書回答を要請したが、これも全く無視された。

    そこで、「心の教育」はいらない!市民会議は、全国の学者・文化人らに協力を求め、同年2月19日に121名の賛同からなる声明文を提出し、京都市道徳教育振興市民会議が市民との話し合いを拒否していることに抗議し、京都市教委による「道徳教育振興キャンペーン」を中止するよう申し入れた。それでも、京都市道徳教育振興市民会議は、何の回答も寄せてこなかった。

  

  イ また、2004年6月の京都市道徳教育振興市民会議の最終会議は、廊下に警備の職員を多数待機させて傍聴の市民を威嚇しながら開催された。会議終了後、ある市民が、「3年間、皆さんは私たちの質問に全く答えてくれなかった。パブリックコメントでも、批判的な意見は全て無視した。最後だから、せめて1〜2分間だけでも、私たちの話を聞いてほしい。」と訴えたが、市教委の職員らが、「退出させろ!」「警備を呼べ!」と叫んで、遮ってしまった。(乙B3、61頁)

    さらに、市教委の職員は、京都市道徳教育振興市民会議の傍聴に来た市民らの写真を正面から無断で撮影するような行為までしている(乙B8、3頁)。

  ウ 「心の教育」はいらない!市民会議は、この問題以外にも、たとえば、卒業式・入学式での「君が代」強制問題など、京都市の教育行政に関して、何度も、質問状や申入書を提出し、文書回答を求めてきた。しかし、京都市教委は、いつもも伝言役にすぎない総務課企画広報係だけで対応し、担当部署の職員を話し合いの場に出すことはなかったので、具体的な内容にかかわる話は全くできなかった。そして、京都市教委からは、今まで一度も文書による回答が返ってきたことはなかった。

    このような京都市教委の対応は、「心の教育」はいらない!市民会議に対してだけではない。京都教職員組合ら3団体も、2002年7月16日、「道徳教育1万人市民アンケート」の中止を申しいれたが全く無視されている。また、このように、京都市教委には、多くの市民グループが抗議、申入れが行われ、文書回答が要求されてきたが、いっさい文書回答はしていない。

    このように、京都市教委は、市民参加とはほど遠い対応に終始してきたのである。

  

(3)「心の教育」はいらない!市民会議による市教委への住民監査請求や住民訴訟

  ア 「心の教育」はいらない!市民会議は、2004年7月、京都市道徳教育振興市民会議が解散した後も、子どもたちの学校の問題や教育の現状に関する学習会や、京都市教育行政に対する取組、さらには、教育基本法「改正」に反対する運動などを続けてきた。

     特に、京都市教育行政に対する取組では、情報公開制度を駆使して必要な公文書を取り寄せ、住民監査請求や住民訴訟に再三、訴えてきた。

     本件タウンミーティングの時点でも、憲法を否定するモラロジー研究所の研究会への教育長の関与問題(2003年10月24日)、優秀教員表彰制度問題(2004年1月16日)、パイオニア研究委託事業問題(同年6月30日)、河合隼雄氏に対する不明瞭な謝礼金支給問題(同年10月20日)などについて住民監査請求を行ない、そのうち、優秀教員表彰制度問題(平成16年(行ウ)第13号)、パイオニア研究委託事業問題(平成16年(行ウ)第42号)などについては住民訴訟でも争ってきた。特に、パイオニア委託研究違法公金支出住民訴訟では、2007年12月26日、京都地裁において、門川前教育長に対して、事業費の全額である7160万円の賠償命令判決が出されている。

     このような経過から、京都市教委は、「心の教育」はいらない!市民会議を過剰なまでに敵視してきたのである。

 

   イ 本件タウンミーティングにおいて、内閣府伊佐敷が、市教委の松浦が送った情報をもとに作成した「TM応募者について(取扱注意)」という文書(甲4、甲20)には、「同市民会議は『京都市道徳教育振興市民会議』(座長:河合長官)の謝金に関する住民監査請求を実施。」、「(蒔田氏が来場した場合)京都市教育委員会や内閣府に対し、タウンミーティングの運営や経費等について、後日、情報公開請求等を行って批判してくる可能性もある。」と記載されているのも、このような「心の教育」はいらない!市民会議の従来の運動から、本件タウンミーティングについても、住民監査請求等に持ち込まれることを危惧したものである。

 

3 河合隼雄氏と文部科学省、京都市教委の関係

 (1)「心の教育」を提唱し、教育基本法「改正」を推進してきた河合隼雄氏

  ア 河合隼雄氏は、「心理主義」の立場から、国家が子どもの内面にまで介入しようという「心の教育」路線を、「学者」の立場から推進してきた。

    彼は、以前から、「天皇への敬愛」の強調で問題となった「期待される人間像」(中教審答申)や、森元首相の「神の国」発言などを賛美していたが、2000年1月には、小渕首相(当時)の私的諮問機関「21世紀日本の構想懇談会」の座長として最終報告書をまとめている。この最終報告書は、教育について、「国家にとって教育とは一つの統治行為であり、国民に対して一定限度の共通の知識、あるいは認識能力を持つことを要求する権利を持つ」、「国民が一定の認識能力を身につけることが国家への義務である」、「義務教育はサービスではなく、納税と同じ若き国民の義務である」と位置づけた。しかし、教育とは子どもにとっては権利であって義務ではない。この報告書は、憲法26条を全く無視したものであった(甲43、野田前掲書28頁)。この最終報告書は、その後、教育基本法「改正」へのきっかけにもなったものである。

さらに、彼は、中央教育審議会委員、教育改革国民会議の委員を務め、教育基本法「改正」の「旗振り役」をつとめた。また、前述のように、彼は、『心のノート』でも、作成協力者会議座長として、中心的な役割を果たしてきた。

 

  イ 河合隼雄氏にとって、京都市の教育行政は、自らの主張を実践する絶好の場であった。また、京都市教委も、彼を、市教委の宣伝塔として、最大限利用してきた。

    河合隼雄氏は、1958年頃から、京都市教育研究所カウンセラー、1992年からは、永松記念教育センター顧問、1998年からは、人づくり21世紀委員会代表、2000年には、伏見区小学校事件に関する専門家会議会長、2001年には、京都市教育委員会専門委員、京都市道徳教育振興市民会議座長など、多くの京都市教委関連の委員や役職に就いてきた。また、市教委の主催するイベントでも、毎年のように講演を行なっている。

 

ウ 2002年6月28日、河合氏は、マスコミを招いて、京都の西陣中央小学校で、『心のノート』を使った、道徳の「特別授業」を行なった。また、京都市道徳教育振興市民会議の初代座長を務め、「道徳教育1万人市民アンケート」を提案した。

    彼は、当時の状況について、2001年11月12日、自民党の国家戦略本部での講演で、「今、実は私は、京都で道徳教育振興市民会議か何かの座長をしてまして、文部科学省では心のノートというのを考えてるんですが、それをつくるほうの座長もしています。---だだ、これを極端に政府とか、総理大臣がという言い方をすると、絶対反対されると思いますけど、上手に持っていけばできるのではないか。そういうことを考えるのが我々学者といいますか、そういうものの役割だと思っています。」甲43、野田前掲書28頁)と述べている。

    野田正彰氏は、こうした京都市の教育行政について、「河合氏によるスクールカウンセラー派遣と道徳教育と伝統・文化の強調、つまり心理主義的ナショナリズムの実験場に京都市はなっている。」(甲43、野田前掲書12頁)と批判している。

 

(2)住民監査請求で問われた、河合隼雄氏に対する不明瞭な謝礼金

  ア 京都市教委による河合隼雄氏の「特別待遇」は、まさに異常なものであった。その典型的なものが、河合氏に対する不明瞭な公金支出である。

    京都市教委は、河合氏が京都市道徳教育振興市民会議に出席した際、他の委員は1万円/回であったにもかかわらず、10万円/回の委員謝礼金を支給してきた。当時、京都市の審議会や委員会は61あったが、委員謝礼金は、5,500円〜21,000円/回でしかなかったから、河合氏に対する謝礼は法外なものであった。また、2001年から2002年にかけては、「相談指導法指導者謝礼」という名目で、毎月10万円、さらに「指導助言謝礼」という名目で、さらに毎月10万円を支給していたのである。市教委の担当者は、「電話で相談したり、時々訪問して指導していただきました。」というが、具体的な職務内容を示す文書は何もない(乙Bの3、62頁)。

 

イ 「心の教育」はいらない!市民会議は、2004年10月20日、このような河合隼雄氏に対する不明瞭な謝礼金の支出に対して、住民監査請求を行った。この謝礼金の支出にかかわった市教委事務局職員に損害賠償を求め、河合隼雄氏に対しても、受領した謝礼金を不当利得金として京都市に返還するよう求めるものであった。

    内閣府伊佐敷が、本件タウンミーティングを前に作成した「取扱注意」の文書(甲4の5、校20)で、「同市民会議は、『京都市道徳教育市民会議』(座長:河合長官)の謝金に関する住民監査請求を実施。」とあるのは、この監査請求のことである。

 

4 河合隼雄氏の講演会(2004年6月13日)では何があったのか?

今回のタウンミーティング不正は、京都市が、「かって河合長官が出席したイベントで、大声を出したり、進行妨害をしたため、警察官を関与させることになった者が応募している可能性がある」(乙A22、4頁)として、応募者リストを取り寄せたことから始まった。

この過去のイベントについて、京都市は、「平成16年6月13日に京都市教育相談総合センターで行なわれた河合隼雄文化庁長官(当時)の講演」であると認めている(京都市第2準備書面5頁)。

そこで、この河合隼雄氏の講演に至る経過、また、そこでいったい何があったのかを説明する。

 

 (1)市民らは、「話し合い」を求めていた

ア 京都市道徳教育振興会議は、市民からの質問に対して、いっさい回答しないと決定したまま、最終提言の作成に向けてそのまま作業を続けた。その一方、初代座長の河合隼雄氏は、各所で講演を続け、マスコミ等でも「道徳教育振興1万人市民アンケート」の宣伝を続けていた。

そこで、「心の教育」はいらない!市民会議をはじめ、市民、学生グループらは、京都で開催された河合隼雄氏の講演会にでかけ、会場前で、抗議と、話し合いを求めるチラシを撒くようになった。

 

イ そうした中で、京都市教委は、2004年6月13日、京都市教育相談総合センター(「パトナ」)の開館1周年記念イベントとして、河合隼雄氏の講演会を開催した。

学生有志カラス団、「心の教育」はいらない!市民会議、そして京都界隈有象無象の3団体の、「それぞれ有志」は、開館前に、路上で、参加者へのチラシ撒きを行なった。(その際のチラシが乙B4である。) このチラシでも、「私たちと話をしてみませんか?」とあるように、市民らが求めていたのは、あくまでも話し合いであった。

その日、3団体の有志としての行動は、門前でのチラシ撒きだけで終り、皆は、そこで解散した。その後、数人が、講演会の会場に入った。

本件タウンミーティングにおいて、被告国、京都市は、このイベントで抗議行動を行なったのは、「心の教育」はいらない!市民会議であったと主張するが、乙B4でも明らかなように、上記3団体の、しかも「それぞれ有志」であった。

 

 (2)当日の会場内の様子と、市教委職員らによる市民への暴行・傷害事件

ア この日、河合隼雄氏の講演の際、数人の若い女性らが、河合隼雄氏への異議や質問などの声をあげた。すると、市教委の大勢の男性職員らが、彼女らを、会場から引きずりだした。彼女らは、腕や肩をつかまれて無理矢理引っぱられたため、転倒したり、履物が飛び散ったりした。その際、脇から胸に手をまわして羽交い絞めにするなどのセクハラ的行為も繰り返された。

エレベーターで1階に下ろされた彼女らが、仕方なく、会館を出ようとすると、その時は、もう会館の全ての出入り口は施錠されており、外に出ることはできなかった。市教委職員らは、彼女らを追い回し、1階の部屋に閉じ込めた上で、警察官を呼び、彼女らを約2時間にわたって拘束したのである。呼ばれた警察官も、とても刑事事件というようなことでもなかったので、しばらくして去っていった。

また、一人の男子学生も、拘束されたが、彼は、会場内では一言も発しておらず、見るにみかねて止めに入っただけであった。

このような市教委職員の暴力行為によって、3人の女性は、それぞれ、「頚椎捻挫、右上腕打撲、両膝打撲兼擦過傷」、「両肩捻挫、臀部打撲、両膝打撲兼擦過傷」、「左肩捻挫、右上腕皮下出血」で、いずれも全治10日間の負傷をしている(診断書は、甲23の1、23の2、23の3)。

この傷害事件の経過については、京都市が提出した乙B3、乙B5、乙B6などにも詳しい。

    

   イ この時の講演会について、被告京都市は、次のような情報を国に伝えている。

     ・「(蒔田氏は)京都市教育相談総合センターでの会館1周年イベントにおいて、会場内でプラカードを掲げ、指名されなくても大声を発するなどした。」(甲4の5)

・「河合長官の出席したイベントにおいて会場内でプラカードを掲げ、指名されなくても大声を発するなどの、進行の妨害をしたため、警察官を関与させることとなった者というのは、蒔田直子さんであり、朴さんもその関係者であるとの連絡がありました。」(乙A22、伊佐敷陳述書4頁)

・「(伊佐敷が市教委の松浦から聞いた内容は)蒔田氏に関し、京都で河合長官が出たイベントで、暴力行為や警察騒ぎに発展する事態があった、暴力行為で京都市の職員ともみあった、との情報を提供された」(乙A21、「加納・二之宮報告書」2頁)

・「松浦氏は、---河合長官が出席したイベントでの出来事として、---冒頭から5〜6人の団体が会場内でプラカードを掲げ、中には大声を出す人がおり、河合長官の講演が妨害された、スタッフが何度も退出を要請したが無視された、その中に蒔田氏もおり(蒔田氏がいることはすぐにわかった。)蒔田氏も含めて退出させて別室に移動し、警察の事情聴取を受けさせた、---と述べました。」(同2頁)

・また、伊佐敷は、原告蒔田が直接、(「もう一度確かめたいんですけども、私(蒔田)自身が過去のイベントにおいて暴力行為を行なったり、教育委員会の方ともみあったり、警察ざたになったということは、松浦さんがそういうことをおっしゃったんですか」と質問した際にも、「そうです。」と証言した(伊佐敷証人調書44頁)

 

ウ しかし、蒔田は、この講演会には確かに参加していたが、「プラカード」を掲げてはおらず、「暴力行為や警察騒ぎに発展する事態」もなく、「暴力行為で京都市の職員ともみあった」こともない。また、「退室」させられたこともなく、「警察の事情聴取」も受けていない。

 

エ 被告京都市は、「蒔田は、そのような行為をした団体の関係者だと連絡した。」(京都市第1準備書面1頁)と、「蒔田自身がプラカードを掲げたとは伝えていない。」(京都市第3準備書面2頁)と、その主張を変えている。

しかし、京都市がこのように主張を変えても、そもそも、当日、会場内でプラカードを掲げたものなど誰もいなかった。

この点について、松浦は、第9回口頭弁論において、「大きな紙を顔の前に出して掲示をされたことを、プラカードといっている」(松浦証人調書17頁)と従来の主張をあいまいに変更しようとしたが、当日、「大きな紙」を顔の前に出した者もおらず、松浦の証言は事実に反する。

また、当日、蒔田はもちろん、その他にも、「暴力行為や警察騒ぎに発展する事態」に関与した者はおらず、「暴力行為で京都市の職員ともみあった」者もいなかった。

 

 松浦は、「河合長官の講演会の際の事件については、正確に客観的事実をお伝えした」(松浦証人調書45頁)と証言したが、実際には、「客観的事実」とは全く違った「不正確」なものであり、松浦の証言は全く事実に反している。

 

 (3)京都市が提出した当日のビデオテープについて---蒔田とのきめつけは事実誤認

ア なお、被告京都市は、この河合隼雄氏の講演会の際のビデオテープを乙B1号証として提出した。

そして、同時に提出した別紙において、3回のヤジについて、「原告蒔田直子によるものと推測される」と付記している。

しかし、その中で、原告蒔田と確認できる声は、最後の、「そんなことありませんよ」という1回でしかない(蒔田本人調書24頁)。他の2回は、被告京都市による勝手な決めつけである。

このときも、河合氏が、「韓国人はみんな儒教だ。」、「(韓国人は)親の前では正座をして、絶対親の前ではたばこを吸わない。」というような話をされたので、あまりの決めつけにあきれて、「ちょっと、それは違いますよと声に出てしまいました。」(同調書24頁)という。

 

イ なお、このビデオテープについては、2004年6月、ある市民が京都市情報公開条例に基づき、公開を求めたことがある。しかし、同年7月7日、京都市教育委員会は、非公開決定を行った(甲35)。市教委は、非公開の理由として、「ビデオテープに記録されている講演参加者の発言内容等については、公開することにより、当該個人のプライバシーを侵害するおそれがあるため」、「ビデオテープには講演者の講演内容が収録されており、著作権法により保護すべき著作物であるため」の2点をあげていた。

今回、京都市は、そのビデオテープを乙号証として裁判所に提出したものである。市民が条例に基づく公開請求を行なった際には非公開としておきながら、今回は、自らの勝手な主張を立証するために同じものを裁判所に提出したものであり、あまりに身勝手というほかない。

    

5 本件タウンミーティングは、「伝統・文化」を強調する教育基本法「改正」にむけた「世論誘導」のためのものであった

(1)「愛国心」につながる、「伝統と文化」の強調---改悪された教育基本法で初めて登場

ア 本件タウンミーティング当時の教育基本法(1947年制定)には、「伝統と文化」という言葉はなかった。

1998年6月、中央教育審議会は、「新しい時代を拓く心を育てるために」という答申を発表した。この答申は、道徳教育の強化とともに、「我が国の文化や伝統、誠実さや勤勉さ、「和の精神」、自然を畏敬する心、宗教的情操などを誇りとしながら、新しい時代を積極的に切り拓いていく日本人を育てていかなければならない。」と、「日本人を育てる」ために、学校教育で、「伝統・文化」を重視するようにとのものであった。野田正彰は、この答申をきっかけとして、「伝統・文化の強調と道徳教育と心理主義が三位一体となって、児童・生徒の国家への統合が急激に進められている。」(甲43、2頁)と指摘した。

そして、2000年12月、教育改革国民会議は、初めて教育基本法「改正」に触れた報告を発表したが、そこでも、「日本人としての自覚、アイデンティティーを持ち人類に貢献するということからも、我が国の伝統、文化など次代の日本人に継承すべきものを尊重し、発展させていく必要がある。その双方の視野から教育システムを改革するとともに、基本となるべき教育基本法を考えていくことが必要である。」と強調している。

また、2002年春、全国の小中学生に配布された『心のノート』でも、「我が国を愛しその発展を願う」の章では、「いま、しっかりと日本を知り、優れた伝統や文化に対する認識を新たにしよう。」(甲42、『心のノート』中学生版114頁)、「あなたは『日本の伝統や文化』の頼りになる後継者である。」(同116頁)などと記載されている。

さらに、2003年3月、中央教育審議会は、教育基本法改正の必要性を訴える答申、「あたらしい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」を発表したが、そこでも、「自らの国や地域の伝統・文化について理解を深め、尊重し、郷土や国を愛する心をはぐくむ」と、「愛国心」とむすびつけて「伝統・文化」の重要性を強調した。

 

イ そして、2006年12月、教育基本法が改悪された。新しい教育基本法では、「第2条 教育の目標」の一つに、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」と明記された。

このように、「伝統と文化」は、「愛国心」を育成するためのものとして位置づけられてきたのである。

 

(2)「文化力 タウンミーティング・イン・京都」の目的

本件タウンミーティングの開催概要(乙A2)では、開催の目的を次のように説明している。

「次世代の担い手である子ども達が、我が国の文化について興味を持ち、理解を深めることは、我が国の文化を着実に守り伝えていくため、そして、文化を通じた国際交流を図るために必要であるだけでなく、我が国の文化のさらなる発展の基盤となるものです。自分たちが住む京都の郷土文化、さらに我が国の文化に興味・関心を持ち、理解を深めていくために必要なことや、子ども達と文化の関わり方などについて率直な意見交換を行なう」

 

わずか数行の中に、「我が国」という言葉が4回も出てくるこの文章は、前述の中央教育審議会等の答申や、『心のノート』の記載と酷似しており、本件タウンミーティングもその趣旨のもとに行なわれたものであることを示している。

    このように、本件タウンミーティングは、「伝統・文化」を強調する教育基本法「改正」にむけたキャンペーンの一環であり、きわめて政治的な目的を持っていたのである。

 

 (3)京都市教委門川教育長の主張---「お茶、お花、伝統芸能などが、『愛国心』を育てる」

ア このように、国は、本件タウンミーティングの狙いとして、「伝統・文化」の強調によって、子どもたちに「愛国心」を育成するという位置づけを行っていた。

京都市教委門川教育長は、国会で、子どもたちに「お茶、お花、伝統芸能」を学ばせる意義について、次のように述べている。

「京都の子どもたちにしっかりと日本の文化、伝統を知識として学ばせたい。同時に、体験もさせたい。お茶、お花、伝統芸能、それらを、今、京都検定が非常に好評でございますが、子ども版の日本文化検定、そうしたものを進めていきたい。こうした取組が、郷土を愛し、日本を愛する子どもたちの育成につながっていく、そのように確信しておるところであります。」(甲45、2006年5月30日「衆議院教育基本法に関する特別委員会議録」3頁)

なお、この発言は、2006年5月30日、門川教育長が、衆議院の教育基本法に関する特別委員会に参考人として呼ばれたときのものである。門川教育長は、現職の教育長でありながら、政府・与党が提出した教育基本法「改正」に賛成する立場で発言した際に、このような「お茶、お花、伝統芸能」について述べたのである。

 

イ このように、京都市教委が本件タウンミーティングの共催者となり、当日のイベントとして、子どもたちに、伝統芸能をさせたり、女子児童にお茶やお花を披露させたのも、こうした「日本を愛する子どもたち」の育成のためであった。

 

 

第5 本件タウンミーティングにおける、国、京都市の不正行為 

 1 国、京都市の不正行為の概要 

別紙@は、本件タウンミーティングにおける不正行為の経過と概要を、国と京都市に分け、時系列の表にまとめたものである。

それぞれの内容については、原告第3、第4準備書面等で説明したが、再度、被告京都市と国の不正行為をまとめてみる。

  

 (1)本件タウンミーティングにおける京都市の不正行為

   ア 京都市教委・松浦は、2005年8月1日、本件タウンミーティングの準備のために京都市に出張してきた内閣府の担当者・伊佐敷に対して、「『心の教育』はいらない!市民会議が、以前、河合隼雄のイベントで、進行の妨害をし、警察官を関与させたことがあるが、今回、その人たちが応募する可能性がある。」(乙A22)と伝え、さらに、同市民会議のホームページなどを伊佐敷に伝えた。

 

イ 松浦は、同年10月5日、伊佐敷に対して、「かってのイベントで、進行妨害をし、警察官を関与させることになった者が応募している可能性があるので応募者リストをチェックしたい。」(乙A22)として、応募者リストの送付を要請し、同リストを入手した。これは、個人情報の違法な収集である。

 

ウ 松浦は、その名簿の中に、原告蒔田と朴の名前を見つけ、同年10月下旬、「他のイベントにおいて、会場内でプラカードを掲げ、指名されなくても大声を発するなどしたことがある者及びその者と関係があると見られる者が応募」(乙A15、「政府調査報告書」)していると伊佐敷に連絡した。

さらに、「妨害活動したというのは蒔田であり、朴もその関係者である。」 (乙A22)と、2人の名前をあげ、蒔田については、「蒔田氏に関し、--暴力行為や警察騒ぎに発展する事態があった、暴力行為で京都市の職員ともみあった。」(乙A21)などの虚偽の情報を伝え、「蒔田が参加した場合、情報公開請求等により批判してくる可能性がある。」とも連絡した。

また、松浦は、朴についても、「朴氏は、蒔田氏の元夫であり、民族差別を訴える本に名前が出ていた。そういう人物が本件TMにおいても反対活動する可能性があると思った。」(乙A21)と伝え、さらに、朴は「在日本大韓民国民団の支団長」であるという個人情報を伝えた。この「元夫」「民団の支団長」というのは全く虚偽の情報である。

 

エ そして松浦は、同年11月上旬、伊佐敷に対して、「応募者が多くて抽選になった場合には、会場内で抗議活動等トラブルを起こす可能性のある蒔田と朴を落選とすることとしたい。」(乙A22)と要請した。これは、蒔田と朴を本件タウンミーティングに参加させないために、「不正抽選」を行なうよう示唆したものである。

 

オ 松浦は、122名ものイベント参加者や市教委関係者を一括して応募し、さらに、一般申込をしていなかった多数のイベント関係者を「別枠」で参加させるよう伊佐敷に要請した。

 

カ さらに松浦は、同年11月22日夜、国に最終的な応募者リストの送付を要請し、その夜のうちに、78名に「当選」「一応当選に」、46名に「教委ダミー」と付記して返送し、当選者を指定した。なお、「教委ダミー」のうち32名は、当初の応募期間を1日延長するよう要請して申し込んだものである。

また、松浦は、参加証の発送が終った11月24日にも、「発言者とその友人」「お茶関係者の友人」らを、抽選の結果にかかわらず、参加させるよう要請した。

 

キ また、京都市は、5名に「発言依頼」をし、その発言内容を事前に国に送付した。

 

(2)本件タウンミーティングにおける国の不正行為

ア 内閣府の担当者・伊佐敷は、2005年8月1日、京都市に出張した際、京都市教委・松浦から、本件タウンミーティングに、「『心の教育』はいらない!市民会議が、以前、河合隼雄のイベントで、進行の妨害を市、警察官を関与させたことがあるが、今回、その人たちが応募する可能性がある。」(乙A22)という情報を伝えれらた。伊佐敷は、後日、松浦から教えられた同市民会議のホームページをチェックした。

 

イ 伊佐敷は、同年10月5日、松浦から、「かってのイベントで、進行妨害をし、警察官を関与させることになった者が応募している可能性があるので応募者リストをチェックしたい。」(乙A22)と、7月〜8月の応募者リスト送付の要請を受け、同リストを松浦に送付した。これは、個人情報の違法な提供であった。

 

ウ 伊佐敷は、同年10月下旬、応募者リストを入手した松浦から、「他のイベントにおいて、会場内でプラカードを掲げ、指名されなくても大声を発するなどしたことがある者が応募」しているという連絡を受けた。さらに、「妨害活動をしたというのは蒔田であり、朴もその関係者である。」(乙A22)と、2人の名前を伝えられた。

そして、蒔田に関しては、「暴力行為や警察騒ぎに発展する事態があった、暴力行為で京都市の職員ともみあった。」、「蒔田が参加した場合、情報公開請求等により批判してくる可能性がある。」などの情報を伝えられた。また、朴についても、「蒔田氏の元夫であり、民族差別を訴える本に名前が出ていた。そういう人物が本件TMにおいても反対活動する可能性があると思った。」、「在日本大韓民国民団の支団長」等の個人情報を伝えられた。

伊佐敷は、松浦からこのような情報を受け、「なんとかしないといけないと思った。」(乙A21)と危機感を持った。

 

エ 伊佐敷は、同年11月上旬、松浦から、「応募者が多くて抽選になった場合には、会場内で抗議活動等トラブルを起こす可能性のある蒔田と朴を落選とすることとしたい。」と、「不正抽選」を行なって、蒔田と朴を本件タウンミーティングに参加させないよう要請を受けた。

そこで、同年7月〜8月の応募者がすでに143名にもなっており、追加募集の必要はなかったにもかかわらず、さらに応募者を増やして「抽選の必要性」を作り出すために、同年11月12日から21日までの期間、応募者を追加募集した。また、松浦からの要請により、多くのイベント関係者や市教委関係者の参加申込を受けつけたり、一般申込していなかった関係者を「別枠」で参加させることを承諾した。

 

オ 伊佐敷は、松浦から伝えられた情報が、「本当に会場内において混乱が生じる可能性が高いか否かについて、事実関係などを十分に確認」することなく(乙A15、51頁)、そのまま受け入れた。また、蒔田と朴に関して入手した情報を「タウンミーティング参加者について(取扱注意)」という文書にまとめて、同年11月4日のタウンミーティング室定例会に提出し、室長らと対応を協議した。

そして、タウンミーティング室は、同年11月22日の昼間、「京都市からの要請を踏まえ、抗議行動が起こる事態を懸念し、蒔田と朴を抽選で落選とすることを決定」した。伊佐敷は、この方針を、すぐに松浦に伝えている。

 

カ 伊佐敷は、同年11月22日の夜、「抽選」作業を行った。蒔田と朴の応募者番号の下1桁の数字(5と9)を落選予定数字とすることにより、蒔田と朴を抽選から排除し、2人を本件タウンミーティングに参加できないようにした。また、原告松田のように、応募者番号の下1桁の数字が蒔田、朴と同じであった多くの応募者も抽選から排除されることとなった。

 同時に申込をしていた多くの子どもたちも、参加を阻止された。

 

キ 同年11月22日の夜、最終応募者リストを受けとった松浦は、78名に「当選」「一応当選に」、46名に「教委ダミー」と付記した名簿を伊佐敷に送付した。伊佐敷は、すでに抽選を終えていたが、松浦の要請をそのまま受け入れ、松浦から依頼されたものについては、落選となっていたものにも、参加証を発送した。また、松浦は、11月24日にも、「発言者とその友人」「お茶関係者の友人」らを、抽選の結果にかかわらず参加させるよう要請した。そのうち何人かは落選となっていたが、伊佐敷は、それらのものにも参加証を発送した。

 

 (3)原告らだけではなく、多くの子どもたちも被害を被った

   ア 本件タウンミーティングは、その開催概要(乙A2)でも分かるように、その「募集対象」は、「小学5年生〜高校生」、「高校生以外は保護者同伴」とされていた。すなわち、あくまでも子どもたちを参加主体としたものであり、大人は、同伴する保護者として参加るものであった。

     原告ら4名も、それぞれの子どもらと話し合い、保護者として、子どもと一緒に参加を申し込んだものである。

 

   イ 今回の「不正抽選」は、原告らの参加を作為的に阻止するものであったが、その結果、本来の参加主体である原告のそれぞれの子どもらの参加も阻止することになった。

     また、被害者は、原告の子どもらだけではない。原告蒔田、原告朴の応募番号の下1桁の数字が同じであった者らも、抽選とは言えない不正な方法で排除された。それらの者の子どもらも被害者となったのである。

 

   ウ 京都市教委・松浦は、応募者のうち46名(18件)に、「教委ダミー」と付記した。この「教委ダミー」は、全て市教委職員であったが、その半分以上の24名は子どもたちである。これらの子どもたちが、自分の名前が「ダミー」として使われることを了解していたとは考えらず、市教委職員らが、子どもたちの名前を勝手に使ったものと思われる。 

     さらに、市教委は、中学生2名、高校生2名に「発言依頼」をしている。これらの子どもたちや、イベントに参加した多くの子どもたちも、接待役を担わされたのであり、やはり、被害者である。

        

2 「不正抽選」を要請した京都市の重大な責任

(1)被告国は、今回の抽選について「作為的な抽選」というだけで、「不正抽選」という表現はしていない。訴状の、「極めて悪質な不正行為」の部分についても、「争う」とした。

しかし、被告京都市では、訴状の「2 抽選方法の不正について @」に対して、「極めて悪質な不正行為が行われた」の部分を含めて、全て「認める」と答弁している(答弁書5頁)。

このように、被告京都市は、今回の抽選が「極めて悪質な不正行為」であったと認めているのである。ただし、その「行為」者は国であって京都市ではないという立場をとっている。

 

(2)しかし、被告京都市は、この「不正抽選」に関して、「抽選については関知していない。」(京都市答弁書7頁)、「(市教委は)両名をタウンミーティングに参加させないよう要請したこともない。内閣府が両名を落選させることを独自に決定したのである。」(京都市第4準備書面6頁)、「抽選を行う必要性、どのように抽選を行うかを判断したのは、内閣府である。」(京都市第6準備書面8頁)として、「不正抽選」にはいっさい関与していなかのように主張している。

松浦も、「抽選につきましては、主催者であります内閣府においてその主体性のもとでされたことでございますので、内閣府の判断でされたことだと理解しています。」、「抽選について教育委員会が関与するという部分はなかったと感じております。」(松浦証人調書28頁〜29頁)などと、全ては内閣府の責任であったと証言した。

 

(3)松浦は、さらに、「(不正抽選が行なわれたことを聞いて)どう感じられたんですか。」という質問に対して、「ひどくびっくりしたのを覚えております。そこまでされるのかということについて非常にびっくりしました。」(松浦証人調書3頁)、「(市教委の担当課長とか総務課長なんかの感想はお聞きになったんですか、という質問に対して)2人の課長ともひどくびっくりされていたのを覚えています。」(同4頁)などと証言した。

 

(4)しかし、証拠が示すところは、2005年11月上旬、松浦は、伊佐敷に対して、「応募者が多くて抽選となった場合には、会場内で抗議活動等トラブルを起こす可能性のある蒔田さんと朴さんを落選とすることとしたい」と要請している(乙A22、5頁)。これは、蒔田と朴の2人を抽選で落選としてほしいという、明らかに「不正抽選」を示唆したものにほかならない。

伊佐敷は、第9回口頭弁論の証人席において、こうした要請があったことを明確に証言した(伊佐敷証人調書11頁)。

松浦の、「そこまでされるのかということについて非常にびっくりしました。」という証言は、そうした自らの要請について白を切り、国に全ての責任を押しつけようというものであって、およそ公務員たるものの常軌を逸した証言である。

「不正抽選」の「実務」を担当したのは国であったが、それを「要請」したのは京都市であり、京都市は国と同等か、それ以上の責任が問われるべきことは明らかである。

 

3 「作為的な抽選」を認めておきながら、謝罪を行なわない国の対応

 (1)反故にされた、国会における内閣府副大臣の謝罪の約束

ア 本件タウンミーティングの「不正抽選」については、「政府調査報告書」(乙A15)が強く批判し、2006年12月14日の参議院教育基本法に関する特別委員会では、林芳正内閣府副大臣が、「来られなかった方が親子を含めておられたということについては私からも心からおわびしたいと、こういうふうに思っております。」、「この抽選で漏れた方がどういう方であったかということが分かる範囲で、ベストを尽くして、お分かりになった方に対してはきちっと責任者からおわびをさせたいと、こういうふうに思っておるところでございます。」(乙A16)と、参加できなかった者に対して、「ベストを尽くして」謝罪することを約束した。

 

イ その後、原告松田らのように、原告蒔田、朴らと応募番号の下一桁の数字が同じだった者に対しては、タウンミーティング室長らによる「お詫び」が送付された(乙A17)。しかし、この文書は、ほとんどが、「政府調査報告書」の該当部分(乙A15、51頁)を引用しただけという、きわめて形式的なものに過ぎなかった。

 

ウ しかも、原告蒔田、朴と、2人の娘である朴希沙に対しては、国は、現在に至るまで、何の謝罪も行なっておらず、国会での副大臣の謝罪の約束は、全く反故にされてしまっている。

蒔田に対しては、本件タウンミーティングの不正が明らかになった、2006年12月末、加納氏から、内閣府の関係者が謝罪に来たいという旨の電話があった。その時、蒔田は、「市教委からどういう情報が国に伝えられたのか教えてほしい。」と頼んだが、「説明する必要はない。」と断られた(蒔田証人調書12頁)。そのため、蒔田は、「事実関係が明らかになっていないので、今のままでは謝罪は受けられない。時期尚早です。」と伝えている(甲29、蒔田陳述書9頁)。

その後、現在に至るまで、国からは、蒔田に対して、謝罪の申入れは全くない。

一方、原告朴、さらに娘の朴希沙に対しては、謝罪の申入れは、ただの一度もされていない。

 

(2)国は、「作為的な抽選」の事実は認めるが、謝罪の姿勢は全く示していない

ア 被告国は、本訴において、本件タウンミーティングで、「作為的な抽選を行ったことは認める」(国答弁書6頁)、「作為的な抽選を行ったことは事実あり、それが---タウンミーティングの運営方法として不適切であったことは被告国も認める」(国第3準備書面5頁)と、「作為的」で「不適切」な抽選が行なわれたことについては認めている。(被告国が使っている、「作為的な抽選」、「不適切な措置」という表現は実態を正しく示しておらず、「不正抽選」という表現が適切である。)

 

イ しかしながら、被告国は、「『極めて悪質な不正行為が行われていた』との点は争う」(国答弁書5頁)と反論し、その後も、この「不正抽選」の問題について何の謝罪も行なっていない。

かえって、「参加者を抽選で選んだことには合理性があり、抽選を行ったこと自体が国賠法上違法であるとの原告らの主張は、その前提を欠くものである。」(国答弁書14頁)、「抽選の必要性が認められることについては、繰り返し述べたとおりである。『違法かつ不必要な抽選』であったとする原告らの主張は、この点において失当である。」などと、「抽選の必要性」があったという反論に終始している(国第3準備書面4頁)。

 

ウ 内閣府の担当者・伊佐敷は、第9回口頭弁論で、原告代理人や原告本人らの追及により、「(不正抽選をしたのは)悪いことだと思います。」(伊佐敷証人調書30頁)、「作為的な抽選によって本来参加できたであろう方々の参加の機会を奪ってしまったことになりますので、それは非常にそのことについては悪いことだったと思っておりますし、反省もしているところです。」(同)、「子どもの参加の機会を奪ってしまったことについても、申し訳なかったと思っております。」(同)、「作為的な抽選で朴さんの参加の機会を奪ってしまったということで、やはり当時の担当者として大変申しわけなかったというふうに思っております。」(同43頁)、「今回の抽選については、不適切だったというふうに思ってますし、当時の担当者としては本当にそれは反省しております。」(同44頁)などと証言したが、これをもって国としての謝罪とみなすことはできない。

 

 

第6 各原告の応募の動機と損害について(各原告の陳述書、本人尋問の要約として)

1 各原告とその子どもらが本件タウンミーティングに応募した動機について

(1)原告蒔田の応募の動機

ア 原告蒔田は、在日朝鮮人である朴洪奎との間に2人の娘がいる。2人は、小学校から高等学校まで、京都市の公立学校に通ったが、2人とも朝鮮名であったため、小学校に入る頃から、数々の民族差別に直面した。

蒔田は、その度に、クラスの親たちや、担任らと話しあうようになり、子どもの学校生活への関心や、地域での親どうしのつながりを持つようになった。

 

イ 下の娘・朴希沙が中学生になった頃、学校は大きく様変わりをしていた。成績表は、「関心・意欲・態度」という、本来、点数化できない項目が膨大に並び、娘の朴希沙も、毎回の授業の後に提出を強いられる「自己評価」に悩んでいた。その頃のことを彼女は、「学校での生活は正直言って苦しい。」と記している(甲36)。

また、2002年、文部科学省によって、『心のノート』が配布され、子どもたちに、「素直で従順」で、「我が国を愛し、その発展を願う」ことが求められるようになった。娘の朴希沙は、「日本人でない自分は、教育の中から存在を消された」と感じたという(甲36)。

蒔田は、こうした学校の状況が、教員や親の力だけでは改善できない問題であることから、教育問題全般に強い関心を持つようになった。

 

ウ その頃、京都市教委は、道徳教育振興キャンペーンの一環として、京都市道徳教育振興市民会議(座長:河合隼雄)による道徳教育振興1万人市民アンケートを始めた。ところが、その内容は、「あなたは自分の国を愛しますか?」というような、思想・良心の自由を侵害し、個人のプライバシーに踏み込んだ設問が多かったため、蒔田は他の親たちとも話し合い、やがて結成された「心の教育」はいらない!市民会議の一員として、京都市教委や京都市道徳教育振興市民会議にアンケートの中止と話し合いを求めた。

しかし、京都市教委や京都市道徳教育振興市民会議は、市民からの申入れには、回答すらしなかった。

 

エ また、原告蒔田は、当時、政府によって提案されはじめた教育基本法「改正」の動きが、娘たちが直面した教育の現状と深くかかわっていると考え、教育基本法「改正」に反対する取組を始めていた。

 

オ さらに蒔田は、京都市道徳教育振興市民会議初代座長の河合隼雄氏が、上記アンケートの提案者であるにもかかわらず、同市民会議が、市民からの質問に回答しないと決定したことを黙認していること、また、『心のノート』を作成し、京都でも、「心のせんせい」として、『心のノート』を使った道徳の模範授業などをしていること、さらに、教育基本法「改正」に向けた「旗振り役」をしていること、などに疑問を持ち、河合隼雄氏の講演会において、会場前で、抗議と、話し合いを求めるチラシを配布するようになった。

 

カ 以上のように、原告蒔田は、京都市教委に、何年間も、話しあいを拒否されてきたが、本件タウンミーティングが、小坂憲次文部科学大臣と河合隼雄文化庁長官が出席する、「直接対話」の場であることを知り、参加を希望した。娘の朴希沙に聞いたところ、娘は何日か考えた後、参加したいという自分の意思を表明したので、応募した。

公教育の当事者であり、学校で様々な問題に直面している娘が、もし文部科学大臣らに発言できる機会があるのなら、そのことを何よりも大切にしたいと考えたのである。

 

キ なお、原告蒔田は、「心の教育」はいらない!市民会議のメンバーらとともに、今まで、何度も、京都市教育委員会への申し入れや抗議などを行なっている。

また、京都市教委の違法不当な公金支出を問題として、住民監査請求や住民訴訟等を行な      ってきた。

 

(2)原告朴の応募の動機

  ア 原告朴は、在日朝鮮人2世であり、幼い頃から、様々な民族差別を直接、体験してきた。

学生時代は、就職差別のために、職業を通じて社会に貢献するという希望は全く持てなかったが、多くの人らの協力もあって、現在は、大阪で公立中学校の教員という職についている。夜間中学校で、学齢期には義務教育を終えることができなかった人たちや、在日韓国朝鮮人1世、また、新しく中国等から来た大人たちを教えている。

 

イ 原告朴が、本件タウンミーティングに参加しようと考えたのは、やはり、下の娘・朴希沙が、民族名で学校に通うことによって民族差別に苦しんでいる姿を見て、なんとか、彼女が、朝鮮人を父に持つことの自覚と誇りを持ち、社会に背を向けないで生きていってほしい、そのためには、学校教育の中で人権尊重の教育をすすめるしかないと思ったからである。それは、長い教員生活を通じて朴が体験したことでもあった。

また、朴は、文部科学大臣らが出席するタウンミーティングに出席することにより、娘らが直面する学校の現実を政策担当者に少しでも知ってもらい、行政を通じて反映してもらえる絶好の機会であると考えた。

 

ウ また、在日朝鮮人は、日本社会への参加には多くの制約があり、特に、選挙権をはじめ、行政施策に自分たちの要望を反映させる方法は著しく制限されている。

そのような中で、タウンミーティングは、在日朝鮮人にとっても、参加して意見を表明することのできる貴重な機会であり、朴は、なんとしても参加したいと考えたのである。

 

エ さらに、朴は、タウンミーティングの参加者の中に、在日朝鮮人の親子が存在するということは、他の参加者にとっても、同じ社会に生きる市民としての朝鮮人の存在について考えるいい機会にもなると考えた。

 

オ 原告朴は、このような動機で本件タウンミーティングに参加したいと考え、娘の朴希沙   に話したところ、彼女もすぐに同意してくれたので、応募した。

原告朴は、親と子がともに苦しむ課題に対して、協力して取り組む過程こそが、彼女にとっても、自分の将来への希望を失わない体験となるはずだと信じていた。

 

カ なお、原告朴は、「心の教育」はいらない!市民会議とは関係がなく、過去に京都市教育委員会に、申し入れや抗議などに行ったことはない。

 

 

(3)原告松田の応募の動機

ア 原告松田は、大学では哲学科に在籍し、宗教学を専攻していたこともあって、個人の人間としての自律や自立、個人と社会との関係などについて、強い関心を持ち続けていた。そんな松田が、特に教育の問題に強い関心を持つようになったのも、子どもの学校とのかかわりを通じてであった。

松田の息子は5歳のときに慢性腎疾患を発症し、その後も入退院を繰り返し、通院加療や運動制限なども続いていたために、松田は小学校、中学校を通じて登下校の送迎を続けた。担任の教員とも毎日のようにいろんな話をし、学校や子どもたちの事情についても、ごく自然に多くの情報や実情を見聞することになった。そうした経過の中で、学校教育ひいては子どもたちの成長・自立、言い換えれば教育そのものについても関心を深めていくことになった。

 

イ そのような中で、本件タウンミーティングが京都で開催されることを知った。文部科学大臣や、『心のノート』を作成した河合隼雄文化庁長官が出席されるというので、特に、「今の教育危機といわれる状況についてどう考えるのか?」というような質問をしたいと考え、応募した。

 

ウ なお、原告松田は、大阪府枚方市民であって、「心の教育」はいらない!市民会議とは関係がなく、過去に京都市教育委員会に、申し入れや抗議などに行ったことはない。

 

(4)原告松本の応募の動機

ア 原告松本も、子どもの通う学校の問題を通じて、教育の問題に関心を持つようになった。蒔田と同様、「心の教育」はいらない!市民会議のメンバーとともに、何回も京都市教委に申入れや抗議に行ったが、いつも、窓口の担当者だけしか応答してもらえず、文書による回答を求めても、いっさい回答はもらえなかった。

また、原告松本も、教育基本法「改正」が、教育の場に格差を拡大するものであり、機会均等に学ぶことを阻害するものだと考え、改悪に反対する取組を続けてきていた。

 

イ そのような中で、本件タウンミーティングが京都で開催されることを知った。今まで、意見を表明する場を全く与えられてこなかったが、本件タウンミーティングは、教育の国策形成に参加できる貴重な機会であった。それは、一人の主権者としての責任を果たす機会でもあると考えた。

 

ウ そこで松本は、当時、中学生だった娘と相談した。『心のノート』や、最近の教育の問題などについて市民が意見を言える場であると説明したところ、娘も参加に同意したので、応募したのである。

     

エ 松本は、もし参加することができて発言の機会が与えられれば、子どもたちが多いタウンミーティングであるから、子どもたちにも届く訴え方を工夫しようと考えていた。

また、娘にも、親が教育の問題で懸命に頑張っている姿を見せることができるにちがいないと期待していた。

 

オ なお、原告松本は、「心の教育」はいらない!市民会議のメンバーらとともに、今まで、何度も、京都市教育委員会への申し入れや抗議などを行なっている。

また、京都市教委の違法不当な公金支出を問題として、住民監査請求や住民訴訟等を行なってきた。

 

2 各原告が本件タウンミーティングへの参加を阻止された経緯

(1)原告蒔田について

ア 原告蒔田は、2005年8月8日、娘の朴希沙と一緒に、本件タウンミーティングへの参加を申し込んだ。内閣府によると、応募者リスト番号は「1065」であった(国第1準備書面2頁)。

応募者リストをチェックして原告蒔田の名前を見つけた京都市は、蒔田に関する個人情報を収集するとともに、国に、「市教委の過去のイベントにおいて、プラカードを掲げ、大声を発するなどした。暴力行為や警察騒ぎに発展する事態があった。暴力行為で京都市の職員ともみあった。」等の虚偽の情報を伝えた。さらに、「会場内で抗議活動等トラブルを起こす可能性がある」、「後日、情報公開請求等を行なって批判してくる」として、蒔田を、本件タウンミーティングに参加させないよう要請した。

 

イ 国は、京都市からの要請を受け、応募者の追加募集や京都市教委関係者の動員等で、「抽選の必要性」を作り出した。そして原告蒔田の応募者リスト番号の末尾の数字「5」を落選予定数字の一つとすることによって、原告蒔田が本件タウンミーティングに参加できないようにした。

この「不正抽選」により、原告蒔田だけではなく、同じく参加を申し込んでいた娘の朴希沙、さらに、応募者リスト番号の末尾の数字が「5」であった多くの申込者も、本件タウンミーティングへの参加を阻止された。

 

ウ 国は、国会での内閣府副大臣等の謝罪の約束等にもかかわらず、原告蒔田と娘の朴希沙に対して、現在に至るまで、何の謝罪もしていない。

京都市は、全ての責任を国に押しつけ、原告蒔田と娘の朴希沙に対して、何の謝罪もしていない。

 

(2)原告朴について

ア 原告朴は、2005年8月9日、娘の朴希沙と一緒に、本件タウンミーティングへの参加を申し込んだ。内閣府によると、応募者リスト番号は「1069」であった(国第1準備書面2頁)。

応募者リストをチェックして原告朴の名前を見つけた京都市は、朴に関する個人情報を収集し、国に、「蒔田の元夫」、「民族差別を訴える本に名前が出ていた。そういう人物は本件タウンミーティングにおいても反対活動をする可能性がある。」、「在日本大韓民国民団の支団長」等の虚偽の情報を伝えた。さらに、「会場内で抗議活動等トラブルを起こす可能性がある」として、朴を、本件タウンミーティングに参加させないよう要請した。

 

イ 国は、京都市からの要請を受け、応募者の追加募集や京都市教委関係者の動員等で、「抽選の必要性」を作り出した。そして原告朴の応募者リスト番号の末尾の数字「9」を落選予定数字の一つとすることによって、原告朴が本件タウンミーティングに参加できないようにした。

この「不正抽選」により、原告朴だけではなく、同じく参加を申し込んでいた娘の朴希沙、さらに、応募者リスト番号の末尾の数字が「9」であった多くの申込者も、本件タウンミーティングへの参加を阻止された。

 

ウ 国は、国会での内閣府副大臣等の謝罪の約束等にもかかわらず、原告朴と娘の朴希沙に対して、現在に至るまで、何の謝罪もしていない。

京都市は、全ての責任を国に押しつけ、原告朴と娘の朴希沙に対して、何の謝罪もしていない。

 

(3)原告松田について

ア 原告松田は、2005年7月24日、高校生の息子と一緒に、本件タウンミーティングへの参加を申し込んだ。内閣府によると、応募者リスト番号は「1005」であった(国第1準備書面2頁)。

 

イ 国は、京都市からの要請により、原告蒔田、朴の参加を阻止するために、「不正抽選」を行なった。原告松田は、応募者リスト番号の末尾の数字が、蒔田と同じ「5」であったため、抽選によらずに、本件タウンミーティングへの参加を阻止された。

また、原告松田だけではなく、同じく参加を申し込んでいた高校生の息子も、参加を阻止された。

そもそも、応募者の追加募集や京都市関係者の動員等がなかったら、抽選もなく、原告松田と高校生の息子は本件タウンミーティングに参加できていたはずである。

 

ウ 原告松田に対しては、前タウンミーティング担当室長・谷口隆司らの名前で、2006年12月22日付の「タウンミーティングの抽選に関するお詫び」の文書が送付されてきた。

京都市は、全ての責任を国に押しつけ、原告松田と高校生の息子に対して、何の謝罪もしていない。

 

(4)原告松本について

ア 原告松本は、2005年8月10日、中学生の娘と一緒に、本件タウンミーティングへの参加を申し込んだ。内閣府によると、応募者リスト番号は「1077」であった(国第1準備書面2頁)。

 

イ 国は、京都市からの要請により、原告蒔田、朴の参加を阻止するために、「不正抽選」を行なった。原告松本は、応募者番号が、内閣府伊佐敷が「ランダムに、そのときに頭に浮かんだ数字」である「7」であったため、落選となったといわれている。  

   しかし、松本についても、当初から意図的に排除された可能性が強い。

また、応募者の追加募集や京都市関係者の動員等がなかったら、抽選もなく、原告松本と中学生の娘は本件タウンミーティングに参加できていたはずである。

 

 ウ 原告松本に対しては、国、京都市とも、いっさい謝罪は行っていない。

      

 3 各原告の損害について

  今回の、国、京都市の不正行為により、各原告は、次のような精神的苦痛を被った。

 

(1)原告蒔田が被った損害

ア 京都市によって、無断で身辺調査が行なわれるなど個人情報を違法に収集され、その個人情報を国に違法に提供された。

イ しかも、内閣府に提供された蒔田に関する個人情報は、ほとんど虚偽のものであった。また、市教委市田総務課長は、「安全確保のために過去の客観的事実を知らせた」(甲15の4)などと、新聞にコメントを出すなど、あたかも、蒔田が、参加者の安全を脅かすかのような印象を与え、蒔田の名誉を侵害した。     

ウ 京都市の要請により、国によって「不正抽選」が行なわれ、一緒に応募していた娘・朴希沙とともに、本件タウンミーティングへの参加を阻止された。

  エ 本件の不正行為が明らかになった後も、国、京都市からの謝罪はない。

 

(2)原告朴が被った損害

ア 京都市によって無断で身辺調査が行なわれるなど個人情報を違法に収集され、その個人情報を国に違法に提供された。

イ しかも、内閣府に提供された朴に関する個人情報は、ほとんど虚偽のものであった。

ウ 京都市の要請により、国によって「不正抽選」が行われ、一緒に応募していた娘・朴希沙とともに、本件タウンミーティングへの参加を阻止された。

  エ 本件の不正行為が明らかになった後も、国、京都市からの謝罪はない。

 

(3)原告松田が被った損害

ア 京都市からの要請により、蒔田と朴の参加を阻止するために、国によって「不正抽選」が行なわれたが、原告松田も、応募者リスト番号の下1桁の数字が、蒔田と同じ番号であったため、巻添えをくって不当にも排除された。

 

イ なお、松田に対しては、国から、2006年12月22日で、タウンミーティング調査室長(当時)らから、「タウンミーティングの抽選に関するお詫び」(乙A17)の文書が送付されている。

 

(4)原告松本が被った損害

ア 追加応募者の募集や、京都市教委関係者の動員等により、本来、必要がなかった抽選が行なわれ、原告松本も、応募者リスト番号の下1桁の数字が、担当者が勝手に決めた数字であったため、参加を阻止された。

 

  イ 本件の不正行為が明らかになった後も、国、京都市からの謝罪はない。

 

 

 

 

第7 結語

   被告国は、京都市と協働して、本件タウンミーティングへの特定の応募者の参加を阻止する目的で、「不正抽選」を行なった。

   この事実に対して、「政府調査報告書」は、「決して認められるものではない」と強く批判し、国会では、内閣府副大臣や政府関係者が公式に謝罪した。さらに、タウンミーティング室長と内閣府大臣官房政府広報室長は、「おわびの手紙」を関係市民に送っている(乙A17)。また、「参加応募者の取扱において極めて不適切な措置」を行なったとして、安倍内閣総理大臣(当事)によるタウンミーティング室長への懲戒処分(甲18の3)、文部科学事務次官による担当者伊佐敷への厳重注意の発令など(甲17の2)、関係公務員への処分も行なわれた。

   にもかかわらず、本訴において被告国は、「抽選の必要性」があったという弁明に終始し、「不正抽選」の結果、市民に与えた結果の重大さについての反省、謝罪はない。

また、被告京都市は、原告らの虚偽を混えた個人情報を国に提供し、2人を本件タウンミーティングに参加させないために積極的な行動を行なったにもかかわらず、全ての責任が国にあるとし、自らの責任を全く認めていない。

 

   タウンミーティングは、「『国民との直接対話』という草の根民主主義の原点」として極めて重要な場と政府自ら位置づけていた。にもかかわらず、被告らは、自分たちにとって「都合の悪い」市民は参加させないとして、「不正抽選」を行ったのである。

本件に対する、「公平であるべき住民参加の機会を奪うもので、民主主義のルールに反する悪質な行為」(甲15の5、京都新聞社説)、「言論封殺ともとられかねない悪質なケース」(甲15の6、東京新聞)等のマスコミの強い批判は、一般市民の意見を代弁するものであった。

   また、タウンミーティング調査委員会の國廣正弁護士(内閣府法令遵守対応室法令顧問)の論評、「政府が『国民との活発な対話』を目的として行う事業であるタウンミーティングは、民主主義政治のプロセスそのものであり、その運営手続の公正さ・透明性(正直さ)の確保は民主主義の前提条件である。したがって、タウンミーティングにおける手続き的な不公正は、民主主義のプロセスの基礎を損なうものであり、認めることができない。なお、一部の応募者を排除する目的で不正な抽選方法を用いることは、排除された応募者だけではなく、その応募者とたまたま同じ抽選番号(末尾1桁)であった多数の応募者を巻き添えにしてタウンミーティングへの参加の機会それ自体を奪う行為であり、手続的な不正の度合いが極めて高く、決して許容できない。」(乙A15、58頁)は、法律家としての健全な判断として、特に指摘しておきたい。

 

今回の不正行為は、参加の主役であるべき原告の子どもたちをも巻き込んだものであった。このことは、原告らの精神的苦痛を一層大きくしていることを看過すべきではない。

被告国、京都市は、真摯に謝罪する思いをもって、原告らの被った精神的苦痛を、すみやかに慰謝すべきである。 

  

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