2006年11月14日
京都市教育委員会
教育長 門川大作 殿
「歴史都市・京都から学ぶジュニア日本文化検定」推進プロジェクト
委員長 市田ひろみ 殿
赤澤史朗(立命館大学)
太田 修(佛教大学)
長志珠絵(神戸市外国語大学)
桂島宣弘(立命館大学)
川瀬貴也(京都府立大学)
北原 恵(甲南大学)
小林啓治(京都府立大学)
駒込 武(京都大学)
高木博志(京都大学)
田中真人(同志社大学)
仲尾 宏(京都造形芸術大学)
水野直樹(京都大学)
森 理恵(京都府立大学)
横田冬彦(京都橘大学)
申し入れ書並びに質問書
申し入れ書
私たち京都市に在住または勤務する歴史研究者有志は、京都市教育委員会が推進している「ジュニア日本文化検定」のテキストブック『歴史都市・京都から学ぶジュニア日本文化検定』(以下、「検定」テキストブック」と略す)に見られる歴史認識とその記述内容について、大きな疑問を持っています。
「検定」テキストブックには、京都と天皇のつながりが不自然なまでに強調されており、牽強付会な解釈に基づく記述が随所に見られます。他方、被差別部落の歴史や在日朝鮮人の歴史のように「人権」という観点から重要な事実は、無視されています。岡崎公会堂における全国水平社の創立大会、豊臣秀吉による朝鮮出兵の侵略性を象徴する「耳塚」の存在など京都に関係する出来事が数多くあるにもかかわらず、これらについてはまったくと言ってよいほど言及していません。
「検定」テキストブックは、今日まで積み重ねられてきた歴史研究の蓄積を無視するものである上に、京都市内で用いられている歴史教科書の記述とも整合していません。もとより、「検定」テキストブックは歴史教科書ではありませんが、学校教育の一環として用いる教材である以上、歴史教科書の内容と矛盾した記述は子どもたちを混乱させ、現在と未来を生きていく子どもたちが必要とする歴史認識を歪めるものといわざるをえません。
また、本文中の説明や写真は、「着物を着ると、女の子はしぐさがやさしくなり、男の子もとても礼儀正しくなります。」(144ページ)という文章のように、性別による固定化を追認し、一方的に女性を「見られる性」とする表現が随所に見られます。これらは、内閣総理府男女共同参画局及び各地の自治体が取組んできた「広報・出版 物等における性にとらわれない表現の促進」に真っ向から対立するものです。
このような「検定」テキストブックは、京都市が基本理念の冒頭に掲げている「人権文化の構築」(「京都市基本計画」)という理念にも反するものであり、学校教育で用いる教材としては不適切であることを表しています。
私たちは、市内小学校における「検定」テキストブックの使用中止と回収、今月下旬に予定されている小学校における「検定」の中止を要請します。
質問書
京都と天皇のつながりを強調した記述にかかわって、下記の質問への回答を求めます。回答は、11月20日までに末尾の宛先に文書にてご回答ください。
これは、門川大作教育長の「発刊の辞」の中の文章です。本文にも「1200年の長い歴史」(7頁)と記されていますが、京都の歴史を「千二百年」とみなす根拠は何でしょうか?本文には、「千二百年」以前に渡来系移住者の果たした役割などについて記していますが、こうした出来事は「京都の歴史」に含まれないと考えているのでしょうか?京都の歴史を「千二百年」と考えるべき根拠をご説明ください。
鎌倉幕府成立以後も「天皇のいる」町だという理由で京都が重要視されたと記す根拠は何でしょうか?なお、この問題について、京都市でも用いられている大阪書籍『中学社会 歴史的分野』(2005年3月30日検定済)では「京都は、公家の政治の中心地であるとともに、全国の経済の中心地でもありました」と記しており、京都の重要性を天皇の存在とは別のところに求めています。教科書にこのように記されているにもかかわらず、あえて「天皇のいる」町だから重視されたと述べる根拠をご説明ください。
この「検定」テキストブックは、「身分の高い人」の存在を強調する一方、「(室町時代には)-身分の低い山水河原者とか、庭の者と呼ばれた人たちが活躍します。」(84ページ)と記しています。しかし、身分制原理を克服しようとする動きに関しては、年表において「1922年 全国水平社が京都で結成される」(165ページ)と記しているのみです。これに対して、京都市でも用いられている東京書籍『新しい社会 6上』(2004年2月10日検定済)では、「身分制度のもとで、長い間差別に苦しめられてきた人々も、1871年の法令によって、身分上は解放されました。…身分制度が改められたのちも、身分のちがいは、天皇一族は皇族、公家や大名は華族、武士は士族、そのほかは平民という新しい形で残されました。…これらの人々は、解放の法令をきっかけに、自らの力で差別をなくす運動を進めていきました。」と記しています(84ページ)。全国水平社の創立大会が京都で開かれた事実があるにもかかわらず、この「検定」テキストブックが、本文で身分制度の克服を目指した運動について言及していないのはなぜでしょうか?また、人権という視点から、このような記述をどのようにお考えでしょうか?ご説明ください。
江戸時代に京都が「天皇のおひざもと」と呼ばれたということは、大阪が「天下の台所」と呼ばれたのとは異なり、歴史研究において常識的な事実とはみなすことができません。どのような典拠に基づいて、このように記しているのでしょうか?典拠をお示しください。
この表現では、中国大陸からも「朝廷への献上品」として野菜などが送られた、という意味になります。中国から日本の朝廷に「献上品」が届いたことがあったのでしょうか?あったとすれば、いつの時代のことなのでしょうか?典拠をお示しください。
「京にゆかりの歴史上の人物」として明治天皇をあげた中での説明ですが、「五か条の御誓文」を出した主体を明治天皇とする根拠は何でしょうか?今日の歴史研究の見解では、形式的には明治天皇が天地神明に誓う形で発表したとしても、実質的には由利公正らが執筆したものであり、明治政府の見解を示すものとみなされています。東京書籍『新しい社会 6上』でも「新政府は、明治天皇の名で政治の方針(5か条の御誓文)を定め…」(82ページ)と記し、大阪書籍『中学社会 歴史的分野』でも「新政府は、明治天皇が公家・大名たちを率いて神に誓う形で5か条の御誓文を出し、これによって---新しい社会のしくみをつくりました」(143ページ)と記しています。明治天皇を主体として記述することが適当であると考える根拠は何でしょうか?ご説明ください。
以上
回答書送付先・連絡先
仲尾 宏