高裁判決を受けて---原告4名から皆さんへのお礼

 

 

 

初めの一歩に戻り、これからの歩みを!

                                蒔田 直子

 

 9月17日、提訴から3年たってもやっぱり裁判は謎だらけ、判決が出た時も裁判長が言われていることがよくわからず、傍聴席の拍手で、ああこれは「勝訴」なんだな、とわかったくらいの頼りない原告でした。
 判決文を読んでも、膨大な時間を費やし詳細に事実を分析し、憲法論に踏み込んだ論理を積み上げてきた弁護団や事務局、学者の努力に報いる内容とは言えず、不正な抽選を「これは違法だった」と認める、ぎり          

ぎり最低限のものでした。            

 が、しかし、市民感覚で当然と考えられることでも、何の力もない個人が国や市を相手どって起こす国賠訴訟で、原告の主張が一部でも認められるのは、今の司法状況の中で、どんなに困難なことか。一審を覆した高裁判決は、手弁当で力を尽くしてくださった弁護団や、原告以上に熱い思いで我がこととして奔走してくださった、多くの人たちの力の結晶です。
 私がしたのは、このまま黙ってあきらめてしまうのはいやだ、と思い続けていたことだけ。損得を顧みず、正義が実現する方向に身体を向けていたいというステキな人たちに出会える毎回の公判は、本当に楽しかったのです。
 判決後の集会で、毎回ご夫婦で遠く大阪まで傍聴に通ってくださる80代の方が、初めて発言されました。
 レッドパージで職場を追われた朝のこと、「あなたのしていることは正しい」と送り出したお連れ合いの言葉を、一生の誇りとしてきたこと。占領下で訴えることさえできなかった半世紀以上前の不正義を、この裁判の行方に重ねて支援し、判決に涙を流されたこと。
 熱い想いのシャワーを浴びながら、店じまいはまだしません。「ほんとうのことを知りたい、権力を持つ者が悪いことをしたら謝ってほしい」ただそれだけの初めの一歩に戻り、これからの歩みを始めていきたいと思っています。




「やっぱりなあ」ではすましたくない

パク ホンギュ

 

9月17日大阪高裁で逆転勝訴の判決が読み上げられたときは、驚きもあり、当然!という感じもありの不思議な気分でした。国賠訴訟で原告側が勝利するということがきわめてマレであるとか、朝鮮人が原告の一人として勝利することはもっとマレであるとか聞かされると、フーン、うっとおしいなあと感じつつ、良かったことだ、と思いました。

この結果は、支える会のみなさんの信じられないくらいの地道な努力と、畏敬の念すら覚えるほどの情熱があったこそであろうと思いました。また、多くの方のご支援や支えがあったから(社交辞令でなく)こそだとも思います。そして、この裁判が教育基本法改悪阻止闘争の延長線上にあったことを改めて確認して、この裁判に注がれたエネルギーの熱さの意味を知りました。
 私は、個人的にはホントこの裁判(闘争?)に参加できてラッキーでした。なによりも、気持ちの良い多くの人々と出会えたこと、これが大きな喜びでした。いっしょに飲めておいしいお酒を、おいしいと実感できるめずらしい機会を得たことが何よりでした。また、原告に朝鮮人が一人加わっているといのもいいなあ、とひそかに思ってもいました。ですから、この勝訴判決に喜びとともに、やっぱり、という思いは禁じ得ませんでした。それは、判決のどこにも朝鮮人であることの個別性、社会的重要性に一言も触れられていないからです。朝鮮人の父と日本人の母を持つ子どもが、朝鮮人の父親とともにTMに参加することが、どれくらい大きな意味と社会的意義があったのか、それゆえ、それを無茶苦茶な方法でその機会を奪ったことの悪質性について日本社会の《意志》すら感じる無視があったからです。在日朝鮮人が日本社会で無視され続けていることは自明ですが、「やっぱりなあ」ではすましたくないな、と思った判決文でした。
 ともかく、相手方が上告した場合、またしなかった場合どちらもこれからのやるべきことは多くあり、結果まだまだおいしいお酒が飲めそうなのでうれしい限りです。みなさん、どうもありがとう!
                                 

 

 

●判決は高く評価できるけれど----

                            松田 浩二

 

2007年1月22日に京都地裁に提訴してから2年9ヶ月。「この裁判は絶対勝てる裁判です。みなさん一緒にがんばりましょう。」と言われた、故林功三さんの最後のメーリングリストへの投稿メールを思い出します。私たち(原告)は、せいいっぱい頑張ることができたのだろうか?そんな思いがよぎります。

 先日(2009.9.17)の大阪高裁判決で、なんとか逆転一部勝訴。内容的には、もちろん原告らに対する「排除の必要性」を否定したことや(あまりに当たり前のこと)、国と京都市による「意図的な排除」「作為的選別(抽選の偽装)」「抽選を行って落選したという虚偽の通知を送った」ことを非難し、それらが公務員の職務上も違法であると断じて賠償命令を出した点は高く評価できます(これも当たり前すぎることなのですが)。

もっとも、私への賠償額が蒔田さんや朴さんと同じだというのには、ちょっと驚きました。見方を変えれば、蒔田さんや朴さんへの賠償額が私と同額だというのが問題なのですね。

蒔田さんと朴さんに対する「プライバシー侵害」に関する部分は、蒔田さんについては一部改善された箇所はあるのですが、朴さんについては地裁判決そのままです。ひどいものです。どうして朴さんがこんな目にあわなければいけないのか。そして松本さんの請求は「棄却」。これも納得はできません。すると、けっきょくそれなりに「満足」できる判決だったのは、私だけだったのか?

 それはともかく、2年9ヶ月の間、多くのみなさんの物心に渡る、暖かい励ましと厚いご支援を戴いたことに、心からお礼を申し上げないわけにはいきません(裁判はまだ終結したわけではありませんが)。傍聴のためにたくさんの方達が法廷まで足を運んでいただいたこと、叱咤激励をしていただいたこと、裁判活動を支えるために貴重な、そして多額のカンパを寄せていただいたこと、手間ひまのかかる事務作業等に惜しみない助力をいただいたこと、ありがとうございました。おかげでここまでたどり着くことができたのです。そして弁護団のみなさん、格調高い意見書を書いてくださった浦部法穂先生にも重ねてお礼を申し上げます。

 

 

 

●深謝、感謝、深謝                        

                              第4の原告松本 修

 

 「 」よりは『 』が相応しい『勝利』ですが、あまりに露骨な不当排除については高裁も無視できなかったのか「賠償命令」が下されました。京都地裁の判決があまりに愚劣な「護憲より 護身昇進 虚栄心」の法の倫理を捨て国へのご機嫌取りに徹した判決であったために、高裁の小さな勝利がつい大きく見えるきらいが無きにしも非ず、じっくり噛んで見ると「シロップ風味の源塩はさみ揚げ」。予防排除を排除して獲得する民主主義は、まだまだ。

 官僚の手のひらで踊らされるまがい物の「市民参加」があまりに官僚の自作自演になりすぎたが故の暴走。暴走の延長線上で審議を不法投棄して強行された教基法改悪。奪われたものは大きく、絶望感は計りしれず、怨念は空を覆い尽くし…。それらの恨みと正義を背負って闘った裁判。

 と、大きなことを言いながらも4人の原告の中では末席を汚す存在。目だ立たず、控えめにして、判決でも「抽選によって漏れた」のだから「却下」の一言。幻の抽選が一,二審とも「公正な抽選」とされ「あんたはもうええの!」とのけ者にされ―。嗚呼、証拠の残らない予防排除は裁かれずフリーパス。

これでは、なあ。

 しかし、国賠訴訟が、裁判所の「御家柄」でほとんど却下されるとういう状況下で、なんとか賠償が認められた意義は小さくはないと思います。原告としても、1審判決があまりにひどい予想外の敗北であっただけに、これで切腹はしないで済んだという安堵感はあります(NHKの大河ドラマを見ているとついついこういう発想に感化されるのです)。

 第4の原告であっただけに、裁判は「傍聴席に座っている方々の代表者」という凡人の立場で臨んできました。その拙い小心者の背中を押していただいた皆さんの無数の温もりを忘れることはできません。僕にとって『勝利判決』以上に、多くの方々の支援の存在が、これからの民主主義を追い求めていくうえでは勝利なのです。本当にありがとうございました。

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